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  私的随喜    Private Column
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おおわだ 僕のアイデンティティーは? 僕のオリジナリティーって?
ずっと漠然と感じつつ、追い求め続けて来た「何か」
そうか。「何か」とは「世界ブルー」だったんだ!!!
ありがとう みんな ありがとう 世界ブルー
すべては青い空の下で繋がっている


10月1日掲載「今の自分」を考える  10月4日掲載「忘れてはいけない気持ち」  10月9日掲載「曲を生む行為」  10月11日掲載「もう逃げたくないんだよ!」  10月16日掲載「世界ブルーを考える」


♪「今の自分」を考える♪

空が懐かしい
「自分探し」をしている人は多いと思う。僕もそうだった。自分は一体何をやりたいのか? 真剣に探す。自分の存在意義は? 存在理由は? 存在証拠は? どこにあるんだ? って。

思えば、僕はメロディーフレーズを生む、という行為を具体的に実践し始めたのが中学1年生の秋からだった。それ以来、現在に至るまで毎日曲が生まれている。そして、今回アルバム『from here on』を発表するにあたって、「ここから」と「これから」について考えてみた。思い出してみた。僕は幼少の頃どんな奴だっただろう、と。どんな事を考え、どんな風景を見ていたんだろう、と。いや、嘘だ。実際、それさえもいつも日常で反芻している。

一曲目の「通り雨」、なんで、ああいう音にしたかったのか。それは無意識だったけれども、今の今にして気が付いた。そう。僕が育った「原市」という街で、いつも眺めていた「空」だったのだ、と。

僕は空が好きだった。これは誰もがそうだ、と感じていたし、だから、僕も自然に空が好きだった。空の下でひとりで塀と向き合ってボールをぶつけるのが好きだった。近所の友達と空の下でホームラン競争とかろくむしとか。「原小」の上の校庭から見渡せる下の校庭、そこに新幹線やニューシャトルを境に平行して存在する空を眺めるのが好きだった。学校の帰り道、特に土曜日、明るい昼の空の下を下校し、母親のケチャップ味のチキンライスを食べながら「女の60分」を見る、っていう楽しみを背負ってランドセルは軽かった事を覚えている。なんだか、こうやって文章を書いていくと幾たびもの瞬間を鮮明に僕の手元に置く事ができる。

そう。だから、僕の音楽の原風景は「原市」だった、と言ってよい。

だから、僕は「通り雨」が好きさ。

通り雨  試聴する  もっと試聴してみる   20041001 0:17am
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♪忘れてはいけない気持ち♪

感受性
きっかけってあると思う。でも、きっかけっていうのは、僕の場合、自身の意志と感受性とが結び付いた時だ。フィーリングや直感という言葉があるけれど、それは、絶えず、自身の中に取り込んできた栄養素を、対象(恋愛、コラボレーション、素材、店選びetc.日常すべてにおいて)に向けてエネルギーを放出する準備はもう出来ていて、アンテナの感度がピンと立ったら、Go Signを出す。サッカーでいえば相手のゴール近くでパスを回しいつ誰がシュートを打ってもおかしくない状況を作る。きっかけっていうのは、そういうもんである。そう。チャンスは自分で作るものだ。同じチャンスにしてもその幅や回数、大きさを決めるのは自分だと思う。


ここで僕はある人物の事を書かなければならない。僕が強くメッセージを伝えたいと感じるようになった「きっかけ」を与えてくれた人について。

10代の多感な時期に、あなたは死についてどう考えただろうか。それがもし自殺だったとしたらどうだろうか。それがいじめによるものだったらどうだろうか。それがまさしく仲の良かった旧友が、剃刀を首に突きつけられ虐げられ、最期は首を吊って死ぬ覚悟を持った、としたらどうだろうか。

その噂が正しいかどうかは分からない。噂は虚偽も主観も多いに含むからだ。でも、彼が死んだという事実ともうこの世にいないという事実は確かだ。

彼は自作の漫画を書くのが好きだった。「青ちゃんマン」と「さとちゃんマン」として学校の廊下でチャンバラごっこをよくやったものだ(※当時、タケちゃんマンが流行っていた)。彼といると居心地がよかった。

僕は彼を含めた3,4人で遊んでいる夢をよく見る。それらの情景はどれもが幸せで喜びに溢れていて懐かしい。かっこつけるようだけど「僕の中にはちゃんと彼はいる」。これは事実だ。

認めよう。僕はいじめられっ子という訳ではなかったけど、泣き虫だった。そして、彼も同様、いじめられっ子という訳ではなかったけど、泣き虫だった。

何を言いたのか、って? 憎しみだよ。何で、彼の首に剃刀が突きつけられなければならないのか? あんなに優しい人間、ピュアな心の持ち主をいじめる理由は、、、それは僕も実際に経験し、別の意味で現在も続いているから分かるのだが、「虐め易い」からいじめるんだろう、人は。「からかい易い」からからかうんだ。「弱そう」だからちょっかいを出す。

だから、高校一年の時、弱者やマイノリティーを虐げる人間に対して強い憎しみを感じたし、「してはいけないこと」は「してはいけないんだ!」と多くの人に伝えたくなった。と同時に、もうすでに彼と親交が途絶えていた自身に苛立ちを感じたし、「何で俺は!」って。。。話だけでも聞いてあげるだけでも随分違っていたのではないか? と。彼は死なずに済んだのでは? と。感受性の強い人間っていうのは、空を求めて地べたで死ぬものだと思う。ふと空という自身の理想郷を掴もうと。あなたは校舎から飛び下りようと感じた事はありますか?

僕はリーダーシップをとれる器量は持っていなかったし、どちらかといえば内面的な少年だった。けど、彼の一件は過去の事件として終わりにはしたくない、と。絶対いつか憎しみや苦しみや寂しみ、悲しみを、と。その奥には彼のピュア優しさが存在したんだ、と。メッセージを放ちたい、と強く誓った。勿論、遺族の方々からすれば迷惑な話だろう。できれば忘れたいはずだ。でも、僕は忘れたくはないし、忘れてしまったら、アーティストとして失格だと思う。そういう感受性をなくしたら、僕もマイノリティーの気持ちを汲めない奴になっちまうからね。

人に対して、幸福とか喜びを与えるには? 偽善や虚偽ではなく、リアルな理想郷を提示するためには? ただただ強く自身の感じるメッセージを伝えるためには? 「悲しみや憎しみさえも笑い声とともにあなただよ」 それはリアルな僕の中から生まれた言葉だ。だから、僕は僕自身をリアルにえぐることで、それを強く伝えていきたい。

そう。人の優しさの中には、色んな感情があっていいんだ、と。憎しみや嫉妬、失望、それらすべてを愛で包み込めるくらいの人間になりたい。

白熱灯と君  試聴する  もっと試聴してみる   20041002 4:16pm
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♪曲を生む行為♪

王子様登場
Summer Day」という曲は、実際は、中学時代の親友の城間の部屋で生まれた曲だ。その時、植野と二人で沖縄旅行しようという事で、ふたりでギターを持って、あの5日間は最高に楽しかった。沖縄二日目の朝、まどろみながらメロディーが浮かんだ。それをいつものように「生曲」したいんだけど、もしそれを見られたら恥ずかしくってなかなか出来ない。結局そのフレーズをずっと反復して、植野が起きるのを待って、「シャワー浴びてくれば?」と促し、その間、ギターを弾いているふりして、テープレコーダーに録音したのが「Summer Day」 入魂の一作(笑)

この「生曲」だけど、いまだに誰にも見られたくはない。特に、中学高校の6年間は苦労が絶えなかった。家族の者は「まさとがなんかむにゃむにゃ言ってるよ」と軽く受け止めていたのだ、と思う。告白かよ! これ。『私的随喜』で告白かよ! 俺。あ、すみません。取り乱しました。

そう。「生曲」は「マスターベーション」と同じくらい恥ずかしいのです。やはり何かを、それが子孫であれ、楽曲であれ、「生み出す」という事は結果立派な事だけど、その過程は恥ずかしい、あまり人に見られたくないんじゃないか、って僕は思います。自慢じゃありませんが、僕は今まで出してきた精子はすべて捨ててきましたが、メロディーフレーズの80から90%はちゃんと録音してあります。

もう一つ言っておきたいのは、、、もし今後、彼女ができて、同棲したり、結婚して同じ部屋で眠る事になったら、僕はどうなんだろう、と心配でなりません。できれば、彼女の前であっても「うにゃむにゃ」とフレーズを言いたいです(というのも、この5,6年、深い眠りに入る直前と、朝目覚めるか夢の中かを彷徨っているような時が一番フレーズが出てくるので)。なので、僕が録音機に何か変なお経みたいに口ずさんでいても、そこはグッとこらえてくれる女の子と付き合いたいです。告白かよ! 『私的随喜』で告白かよ! 俺。って、自分をパロディるとフィクションっぽくなるので気を付けます。これ、結構真剣に文章書いてます。

で、話は「Summer Day」に戻るけど、、、また今度。

Make Me Happy!  試聴する  もっと試聴してみる   20041001 1:21am
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♪もう逃げたくないんだよ!♪

CMJ Japanに掲載
別に教室を飛び出した事とか、興味持ってくれた子に対して「友達として」って言ったりとか、何かと長の付く役をお断りしたりだとか、「俺はまぁ〜」とか言って余裕ぶったりとか、そんなかっこつけの人生は送りたくないんだよ。

「ここは俺の居場所ではない」とか言って会社辞めたりとか、「音楽性の違い」からさよならしたりとか、好きなのに苦しいから別れちゃったりとか、、、旅人のようにただ笑ってさよならするような、いい人で終わりたくはない。

もっと、俺は俺らしく、僕は僕らしく。嫌な自分だっているさ。

創ったものに愛情込めてこれっていえるものが出来た。そこには単に喜びや悲しみといった綺麗なものだけではなく、憎悪やわだかまりや物足りなさや、そういった僕のすべての曖昧な感情を込めている。無気力感、やる気のなさ、絶望、そこから見出す希望、理想主義、潜伏期間、ひきこもり。僕の生活のすべて。

アイデンティティ。そう。もういいんじゃないか? 俺そのもので。作品は俺のアイデンティティであるのと同様、俺も俺そのものでいいんじゃないか? それを貫いていってもいいんだよ。

もう逃げたくない。人の期待を簡単に裏切りたくはないんだ。そして、僕はやっぱりマイメロディーを口ずさむ。

Your Love is Over, Your Game is Over  試聴する  もっと試聴してみる   20041010 00:46am
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♪世界ブルーを考える♪


嘘っぱちな事は書きたくない
恥ずかしくても生の声を
それは昔も今も変わらない
空が青いのは  試聴する  もっと試聴してみる   20041015pm


パリにて
パリにて

1997年ヨーロッパ旅日記より

自らの人間性のcapacityがどれくらいあるかなんてわからない。わかるのは、自らの方向性を信じてその矢印を明らかに周りに相手に理解してもらうよう努めたり表現したりすることの大切さ。 10月17日

愛情、信頼、人生、すべてがつながっている。 10月17日

可能性の拡がり 未来への期待 自らの再認識 10月17日

思考を素直な形で行動にうつせる人 そんな青木真人が私は大好きです。 10月17日

幸せな人っていうのは幸せになろうと努力している 10月23日

愛と信頼 10月23日

人の出会いには、、、すべては心が含まれている 10月25日

人間はこうして成長する。人との出会い、大切にしていく。普遍性との出会いをかみしめているような気がする。 10月29日

人生なにがおこるかわからない。突然の再会、突然の心模様、突然の別れ。すべてがすぎ去っていくような、すべてが向かってくるような、まるで車窓からの景色が変わっていくような。。。

多分、その流れの中で私は、something importantを断えず考え、something impressiveを感じ、someoneをloveするのだろう。人生にはただ、possibilityとdream(=expectation)と普遍性が存在するだけだ。まだ、人はその中でloveを、感動の大切さを身をもって体験していくんだと思う。 10月29日


陽の当たる場所へ僕は向かっている。僕はただ、そうするんだ。そうすることによって得るものは考えない。そこで何を学ぼうとも考えない。ただ、僕はそこへ向かっていることが楽しい。その過程で感じることのできるすべてが嬉しい。

陽のあたる場所、、、、、、それは、そこへいこうという勇気を僕に持たせてくれる。何が存在するのか。わからないこの宇宙で、、、。

何が良くて何が正しいのか、どんな可能性があるのか、、、そんなcuriousityを僕に持たせてくれる場所があるんだ。陽のあたる場所へと僕は向かう。その流れの中で感じるすべてが僕自身になる。僕は向かう、、、陽の当たる場所へと、、、、、、 10月29日


自らのidentity(真人、masato)を追求すればする程、human-beingの根本を見ようとする、、、、、、、それが"幸せに生きる"ことであったり"既視感"であったり"普遍性"であったりする。。。。。。

すべてが普遍性という名の空の下にある。 10月30日


このヨーロッパ旅行で得たものは何だろうか?、、、と回想する時が必ずくるだろう。そして多分その時私は"いや、人生すべて得るところがある"と言うのだろうし、すべては繋がっていて、歴史も文化も習慣も言葉も男も女も人も人肌も何もかもが繋がろうと思っていれば自然に繋がるのだ、と言うだろう。

何を得たか!よりも何を感じそれをどうやって自分なりに表現するか!だと思う。もしくは、自らの生き方に反映するか、だと思う。 11月4日


誰もが自らのベクトルの行方を模索しているんだ。曲がりくねる道を歩きながら、自分自身を探す。そんな作業を繰り返し行う。私はそれが楽しくて仕方ない。自分探しをしている私こそが"私"だと感じる瞬間、その瞬間(トキ)を味わうのが嬉しい。そう感じることの出来る私自身が存在することが心地良い。 11月17日


〜おわりに〜

今回の旅で得たことはたくさんあります。それは、自らの存在を再認識したこと。それは、感性の広がりと深まりにおいて、とつけ加えた方が言葉に適切でしょう。毎日の行動と人との出会い別れを通じて、考える部分、感じる部分がとてもつもなく多種多様でいて新鮮でした。

旅を人生と置き換えて思考を深めたことも、これからの未来の自分像を確立する上で有意義だったと断言できます。

旅に目的はありません。のんびりかつ慎重に、、、、、、生きていた。そうです。必死に生きていたんです。そして、楽観的に未来を手に入れる、実現することの可能性を高めたともいえるでしょう。

絵を描いたり、詩をかいたり、曲をつくったり、と自由な発想を養えたことも、とても楽しかった。

知らないことを知ることはとても興味深いですね。そして、知っていたことを再認識したりするのも、知性の深みにつながりました。

いずれにせよ、旅は最高ですね。これからも、人生という旅を最高に、楽しいものに、幸せな気分でかつ一生懸命にやっていこうと思います。

青木真人 12/27 1:30AM

P.S. 全ての人々、物事、理性、知性、感性に感謝致します。Thank You with love.
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