もうちょっと自分自身を見つめたくなった。回帰現象突っ走る。
♪Come そしてGo!!!♪ 僕は傘を叩き付けた。何度も何度も叩き付けた。どうにもならないこの怒りはどこから来るのか。それは誰のせいでもない。 今日のライブは最悪だった。中途半端だった。気持ちが入ってなかった。伝わらなかった。テンションが乗らなかった。最悪だった。 演奏自体はきっと前回よりもいいだろう。二人の呼吸も合って来ている。僕が言っているのは気持ちの問題。今日はとても客観的に冷静に音楽を弾いてしまった感がある。入り込めなかった。神は現れなかった。僕は僕が歌っている姿を冷静に見て取れてしまった。音楽で旅できなかった。 練習で積み上げて来たものを本番で出す。そういう練習をして来たつもりだし、前日、リハまでしっかりと階段を登って来ていたと思う。意識も気持ちも高めていたし、すべてを本番に持っていく自信があった。頂上に辿り着いて光を見るはずだったのに、少なくとも僕は転げ落ちた。少なくとも僕は魂を抜かれた状態でステージをこなしてしまったようだ。自分自身を高めよう高めようとするあまりに、不自然な空気を吸い込む事になったし、その不自然な空気っていうのは、どうにもやりきれないもどかしさで、それがライブハウス全体に立ち込めてしまった責任を受け留めてしまったがための、停滞感。畜生!!!!!!!!!!! 気持ちの入っていない音楽なんて、存在するに値しない。そんなのなくてもいいし、やる必要はない。屑みたいな音楽やるんだったら、最初からなかった事にしたい。気持ちの入っていない人間なんて生きるに値しない。そんなの死んでしまえばいいし、最初からなかった事にしたい。 でも、僕はこれからも生きていきたいと思っているし、屑みたいな音楽をやっているとは思えない。ただ、こんなんじゃないんだ。今日みたいなのをやりたいんじゃないんだ。今日みたいなステージをやるために練習して来た訳じゃないし、僕らはもっと先の先へ辿り着く必要があるんだ。存在価値があるから生きているし、伝えたい気持ちがあるからこの音楽はやはり続けなければならない。伝えたいものを伝えたいだけ伝える、その努力をもっと突き詰めていかなければならない。僕らが求めている音ってものを多くの人に聴いてもらいたいし、だからこそ僕らはもっと高い次元の感動をお客さんに与えたいと思っている。 多分、きっと、今日のライブはそんなにひどくなかったかもしれない。前回よりもいいって言ってくれた人もいた。でも、やはり今日の僕はイッてなかった。「自己満足できない音楽は屑だ」 僕はそう断言したい。お客さんが満足したって、演ってる自分達が満足しないステージなんて最悪だって思う。もっと狂ったような緊張感と焦燥感と、包み込むような満足感、感動。そして冷たかろうがあったかろうが熱かろうが、体温の伝わるライブを目指す。 カップルがいちゃいちゃしてる。畜生って思う。でも僕は彼等を否定しないし、幸せになって欲しいと思う。だけど畜生って思う。こいつらの満足感よりももっと高くイッちゃうくらいのすんごい体感を音楽で感じてやるって思う。見てろよって思う。セックスなんて糞食らえってくらいのすっごいものをやりたいって思う。そこらの男根よりもこっちの音楽の方がすっげえんだぜ!って言い切りたいと思う。僕らの音楽を聴いて感じてイッちゃって欲しいと思う。喘いで悶えて欲しいと思う。失神しろって思う。イケーーーーーーーって思う。 僕は、、、、、、今日の僕は最悪だった。この怒りはどうしようもない。わだかまりは傘を叩き付けても消える事はない。ずぶぬれになってすべての不純物を浄化させたいって思う。 それでもまだ悔しい思いがいっぱいだから、、、僕は、、、ガムを噛む。 20011001 0:20am
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♪Last Suggestion♪ 結局音楽やっている人間っていうのは幼稚だと思う。甘いって思う。だから世の中には大した音源がないんだって思う。音楽っていうカテゴリーに合わせた音を創っちゃう自称ミュージシャンが多いんだ。そんな俺もなんだかんだ言って、子供っつうか甘ちゃんっつうか、結局、芸術してない。はっきし言ってしまえば、音楽から音楽は生まれない。そう。音楽から音楽は生まれないんだよ。そこんとこさぁ。分かって欲しいんだよね。音楽から音楽は生まれない。 俺は結局、深く生きて来なかった。なのに何も自分の中にないのに、表現する行為に没頭している。馬鹿だって簡単に言ってしまえればいいものの、俺はそれ程馬鹿じゃない。正直な所。俺はまぁまぁで音楽もまぁまぁだから質(たち)が悪い。センスは適度にダサいし、それでいて伝わる部分もあったりして、結局とっちらかっている。「俺の音楽なんてさぁ。誰も聴かんでいいよ。」なんて言わない。それでいて心の中で「誰も分かりっこないさ。創れっこないさ。」って、それが本心。 そんな過信はずうっと持っていて、それが過信だって事も知っていて、でも、それでさえも世の中への提言足り得るんだって思ったりして、でも、人は中々納得しなくて、すぐには理解されなくて、結局俺が冷めきった頃に、人は理解し始める。人って俺よりは馬鹿なんだ、きっと。っていうかさぁ、もっと早く分かれよ。仲良くなるんだったら、もっと早くから心開けよ。躊躇すんなよ。恥ずかしがんなよ。臆病なんだよ。俺だって臆病だよ。でもこうやって曝け出してんじゃん。 人間的にとっても分かり易いであろうと思われる「俺」は、やっぱりどうしても会う人に気を遣ってしまうし、だから相手は「俺」は普通の人と捉える。そこまではいいさ。でもさ。俺はさ。それはさ。争いたくないからさ。議論なんかしたくないんさ。そんなの時間の無駄だって事知ってるし、だったら早く家帰って音楽創りたいんさ。自分の時間の中で生きている事に充足するんさ。 はっきり言える事ってあんまないけど、人と話すっていうのは、そりゃ、アイディアを生み出すためにあるって思ってるし、アイディアの生まれない話し相手ってのは、そりゃ、その人アウトだよ。だから、俺は「その人アウト」って言いたくないから、その共有する時間の中で一所懸命にアイディア捻り出すんよ。俺は人間的に優しいんだ。でいて、創る観点ですっごい嫌な奴になる。すっごい嫌な奴を優しい俺が包有してるから、俺はやっぱり捻くれた優しさを感じつつ、アイディアを生み出さずにはいられない。 俺はさぁ〜。ほんとにさぁ。裸んなって笑顔で空飛びたいなぁ〜って。少なくとも宅録で気持ちいいマスターベーションしたいし、ライブではおっきい空間セックスしたいって思う。俺だって臆病さ。でもさ。頑張ってるんだ。そう。みんなもね。これ読んだら少しは頑張れ。 20011002 3:17am
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♪僕と一緒に坦々麺♪ 世の中にはすっごい人達がたっくさんいて、ほんとにすっごいすっごい人がたっくさんいるんだって思っていて、で、そういう人達っていうのはきっと、自身の才能とかに何の未練もわだかまりもないんかな、とか思ったりして、で、僕はいつもわだかまっているし、いつも欲求っていうのがあって、いつも満たされない思いいっぱいでありつつの、生きているつつの、前進している。 さっき掲示板に書いた“だね。前進だね。最近口癖なんだよね。人差し指を宙に向けて「前進」ってさ。” それっていうのは宣誓であるし、メッセージだって思う。街中で僕は人差し指を天に向けてみる。そんなのって自然になっている。まぁいい。 いかれてるっていうのはそう悪いもんでもないかもしれない。暴力とか犯罪とか醜い争いとかって嫌悪感ありありだけど、でも、自分の世界構築のためにそれまでの自分粒子がいかれて、彼等が変化して、より面白い粒子がいっぱいできて結合したり融合したりして、そんな自分粒子達はやっぱり僕をもっと高い所に持ち上げるだろうし、それって悪い事じゃない。いいことだ。そこで僕が夜の街中を弾んで歩いていけるなら、そして、たまに『坦々麺』でも食べられるなら最高だって思う。 ここ1年でそれまで知らなかった人達と出会って、ライブやったりネットで出会って、そんな中で運命の人達に出会えたりするっていうのは、凄まじい事だと思う。運命の人なんてめったに出会えない訳だけど、「運命の数」を増やす努力をすれば、やはり、出会えるんだって思う。そういう熱い人々と関わって、それまで自分軸で熱かった僕がもっと多分熱くなって、坦々麺くらい最高に旨くて熱い奴になれるんなら、もっと運命の人達に出会いたい。よく「出会いは楽しい」って言う人いるけど、そういう1+1=○△っていう話をしているんじゃなくて、感性だったりVisionだったりそういうものの共感、構築が楽しい訳だ。 勿論嫌な事も沢山出て来るし、面倒な事って多々ありだけど、それでも、独りでPooRhythmしてた頃よりはより面白い物体になれた気がするし、きっと、細胞は以前より活発化しているに違いない。 とか書いといて、やっぱり、最終的には自分はどうか?!な訳で、出会うとかそういうのって、実は虚しかったりとか考えちゃって、でもそこには嬉しいとか楽しいとか苦しいとかすべてが凝縮されてるから、虚しいのであって、そういう虚しさっていうのは僕は好きだ。 世の中にはすっごい人達が沢山いるんだろう。それはそれでいい。うん。僕は僕でいい。うん。それでいい。僕はきっと僕なりの上昇線を描ければそれで満足で、僕なりの友好縁みたいな円を描ければ満足なんかな。でもその僕なりっていうのは結構坦々麺だしそれでいて世界ブルーだから、そんなチャンプルーな生き方っていうのは周囲から誤解を招く事はあっても、決して迷惑かけるつもりはないよ。チャンプルーっていうのは結局は共存だって。個々の魅力がうまく溶け合うから旨いンだよ。泡盛でも呑みつつさ。グデー。 さてさ。気を緩める事ありでもさ。前進っつうかさ。坦々麺しない? だってさ。僕さ。最近口癖なんだよね。すべての熱く前向きな言葉がさ。一緒にどう? 20011003 0:39am
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♪真実♪ 本当の事は何なのかって分からない。 あなたの気持ちなんてこれっぽっちも分からないんだわ。 微笑み、それは嘘でしょ? 抱擁、それも嘘でしょ? 分かってるの、私。分かってるの。 それでもいいの。それでいいの。 真実の愛なんて盲目から覚めた時のフィードバック。 あなたはいつも私の側に居てくれる。 語りかけ、それが愛おしい。 温もり、それが愛おしい。 分かってるの、私。分かってるの。 それでもいいの。それでいいの。 思春期の時に思い描いた永遠は空だった。 でも、今私が知っている永遠はあなただ。 20010228 0:00am
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♪お詫び♪ みなさん、こんばんは。お知らせがあります。 一部の方は御存じのように、9月から丸山マサフミさんとライブ活動開始しました。そして10/11高円寺ペンギンハウス、11/6吉祥寺曼荼羅と予定が入っておりました。いざ!と思っておりましたが、ここの時点で「いったん、原点に戻ってソロで」やった方がお互いのためなんじゃないか、という共通認識の元、以下のスケジュールに変更する事を深くお詫び申し上げます。 10/11(木) 高円寺ペンギンハウス 丸山真史ソロ 11/6(火) 吉祥寺曼荼羅 青木真人ソロ なお、11/6の青木真人ソロに関しては、おって連絡もしくはネットのライブ情報に更新致します。 短い間でしたが、興味持って下さった方々が少しでもいてくれて嬉しい思いでいっぱいです。期待させてしまった感もあり、申し訳ないとは思いますが、丸山、青木ともに、真剣に音楽を追求し、前進しようという気持ちには変わりありません。これからもお互い助け合っていこうと思っております。ご理解の程宜しくお願いします。 なお、このメールは知る限りの人々に送信しておりますが、中にはメールを持っていない方もいらっしゃったり、青木自身その方々の連絡先など知らない場合が多々あります。もし、面倒でなければ、伝えて下さると有難いです。ほんとにすみません。 これからも、頑張ります。お互い前進しましょう。失礼しました。 (今後メール不要な方は、このまま返信願います。) 20011004 夜送信
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♪静音パッション♪ 今日は僕の誕生日である。僕にとっての思い出深い誕生日プレゼント。 1、小学校1年の時に買って貰ったローラースケート 2、いや、その前に幼稚園の頃に買って貰ったマリンバ 3、そして、、、中学1年の時に買って貰ったラジカセ そのAIWA製のラジカセには録音ボタンがあって、それを押すと同時に再生ボタンもへこんで、見事に録音出来る。マイクはなくて、スピーカーそのものがマイクの代わりっていう、今では見かけられないもの。いや? ちっちゃい穴があってそこから音を拾ってたのかな。思い出せない。 何はともあれ、中学1年の僕にとっては「録音」っていうのは何とも神聖な儀式っていうか、緊張するっていうか、触れてはいけない、、、そう。触れてはいけないボタンを僕は押してしまうのである。それが僕の人生を決定付けた。 「作曲用テープ1 中1秋〜中2 自声部分的録音」と題されたSONYの54分テープ。勿論、それまでも曲は浮かんではいたものの、しっかりとした形で残しておかなかった。よく小学校の授業中とか休み時間にフレーズが浮かぶとカンペン(筆箱のことです)に○と_を羅列したのを憶えている。でも大概その鉛筆で書かれた暗号まがいの楽譜は自然と消されてしまうのである。ランドセルの中で連絡帳とか国語の教科書とかと擦れ合って。 「作曲用テープ」 当時、僕は自分が何を口ずさんでいるか分からなかった。曲おぼしきもの。でも曲じゃない。そう。フレーズである。当時の僕の頭の中を整理すると、イメージ→フレーズ→メロディー→曲の順に楽曲が形成されていたように思う。今でも変わらんけど。そして、この記念すべき「作曲用テープ1」には曲なんてものはなく、ほぼすべてがフレーズで埋め尽くされている。勿論、自分が声を録音しているなんて事は家族にも友人にも内緒っていうか、知られたくない秘密だったから、「マサト。ごはんだぞ〜。」なんて1階から呼ばれると、それまで口ずさんでいたのを何事もなかったかのように、フウフ〜ンとかそれよりも大きめに鼻歌い。やるなぁ少年。お前は誤魔化し方をよく知っちょる。 秘密だったから小声で録音する。でも、僕にとっては少なくとも「僕」っていう小さな世界の中では革命的な出来事だった。そして、革命っていうのが常にそうであるように、僕は静かなるパッションをそのラジカセに吹き込んでいたのである。 1987年秋録音(声変わり前)を聴いてみたい方は●●●ピノッタイネ●●● 参照:『入れテクノ』 2001011 3:58am
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♪今の自分♪ 本来ならば、城北生活三年間の思い出やら、印象に残ったことなどを書くことだろう。しかし、今、僕は自分自身について語りたいと思う。本来の自分の姿、それは勉強している自分でもなければ、遊んでいる自分でもない。唯、一人孤独になっている自分だと思える。一人でいることは、これはつまらなく寂しいものである。しかし、僕はその寂しさに浸る事もまた良い事だと思う。その訳を今から書こう。 一人でいるという事は、当然話し相手が存在しない訳である。そして、一人でいるからといって、唯、ボケーッと突っ立っているだけでは物足りない。必然的に話し相手が必要になるのだ。だから僕の場合は、自分自身に話しかける。そうしていると、自分自身と話している訳だから、自分の主張がすんなりと通ってしまうために、自分の理想というものまでがすんなりと出来上がってしまう。先程、孤独になる事も良いと書いたのはこの事である。そして、本当の自分とは理想を思っている自分などであり、現実の自分とは理想が現実によって踏みつぶされてしまった自分なのである。また、この文章を書いている自分は本当の自分である。というのも、これを書いている時は誰とも話さずに、唯、ひたすら孤独に書いているだけなのだから、、、、、、。 大分、理解に苦しむ文章になってしまったと思う。しかし、僕としてはそんな事などどうでも良い事であり、卒業文集という形でこの文章を書いたという事が大事な事なのだ。つまり、この文章は、僕の中学生活三年間で学んだ成果が一番良く出ているものだと確信するからである。これを書いているほんの一時、僕は孤独というものを感じ、もう少しで現実というものを味わおうとしている。そして、現実から見たこの文章はゴミみたいなものであり、一年後、同じものを読んだ時は全く感心をそそらないことだろう。しかし、僕は自分自身で最高の文章を書こうとしている訳でもなく、最後の文章を書いている訳でもない。唯、今の自分を書いているだけである。最初に書こうと思った事を書けなくて残念に思うが、この愚かさも今の自分を示している訳であるから、僕としては、この文章は卒業文集としてはどうかと思うが、自分自身の記念として書いたと思えば最高の出来であると思う。 一九八九年度城北中学校卒業記念文集より
当時の文章をそのまま忠実に掲載致しました。 20011013 2:53am
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♪願い−金比羅山を登る♪ 私は、あの時、心の中では一人で登った。そして、一人で願い、一人で汗に濡れた。だが孤独ではなかった。それは何故か。達成感に心を委ねていたからであろうか。それとも願い事の一部である私の持つ将来の空間とぬくもりを共有していたからであろうか。 生憎空は雲で覆われていた。何時雨が降り出すかわからない空模様。私のTシャツは肌とぬくもりを感じ合っていた。そう、私は階段を登り続けているのだった。私はただひたすら願い事を心の中で祈り続けていたのだ。欲張りな私は果てしない数の願い事を祈った。数多くの階段は数多くの願い事を消化してくれたように思う。思い着く儘に心の中に我儘を列挙し、一回唱えただけでは効果がないかも知れぬと思い何度も唱え続け、そうしたかった。だから、まだ目的地は程遠いものだと思いたかった。 目的地までは到底辿り着かないであろう。私はむしろ、それが嬉しかった。このままずっと一歩一歩階段を踏み締めていきたかった。つまり、目的を簡単に達したくはなかった訳だ。また、私は疲れを感じたかった。階段を登るにつれてできた大きな達成感の塊が私の心の中の疲れを押し出していたのだった。私はその達成感に勝る疲れが欲しかった。そして、その疲れに打ち勝つ精神力が欲しかったのだ。しかし、私が得たものは精神力ではなく達成感であった。その達成感が私の精神力の糧になるだろうと思うと新たな喜びを感じた。 私は登りながらこう思った。近い将来必ずこの階段を登るであろう。一人ではなく、、、。私達は互いに心を分かち合うであろう。その時、新たな達成感を共有することだろう。その時の私は、私達はどんなだろうか。それはわからない。しかし、これだけは断言できる。そう、私はまた同じ階段を踏むのだ。そして、すばらしい人生を歩むのだ。 平成三年度修学旅行文集より
文集には「魂」と記されておりましたが、正しくは「塊」です。 20011015 0:36am
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