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  私的随喜    Private Column
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おめでとう植野 ありがとう足立


11月1日掲載 〜おめでとう植野 ありがとう足立〜  11月2日掲載 〜おめでとう植野 ありがとう足立 Part2〜  11月3日掲載 〜おめでとう植野 ありがとう足立 Part3〜  11月5日掲載 〜おめでとう植野 ありがとう足立 Part4〜  11月7日掲載 〜おめでとう植野 ありがとう足立 完〜  11月10日掲載「祝」


♪おめでとう植野 ありがとう足立♪


伝えたいことが多すぎる。それは感情が彷徨っているからか? それとも僕がただ情緒的なだけ?

親友の結婚式二次会の幹事を引き受けることになった。彼とは中学時代の部活が一緒で、クラスメイトになった事はないけど、、、一緒に苦楽(中坊なりの苦楽)をともにした事もあって、絆は切れない。高二か高三に入る前の春休みとかは、僕が学校の教室で独りで基礎英語の参考書とにらめっこしていると、彼も学校に来てたりしたりする。その後、お互い大学に進学し、彼は音楽サークルに入った。僕も別の大学で音楽サークルに入ったけど、すぐやめて、独り宅録の世界へ。

よく彼の一人暮らしの部屋へ遊びにいったものだ。で、大概、僕の創りたての作品の品評会をする。お互いそれぞれの場所で青春してたので、年に一度か二度くらいしか会う機会がない。なので、結果的に僕の作品の数も多くなる。大体1,2時間僕の曲を流して聴きながら、酒を飲んで、女の子のこととかそれぞれの大学生活について話したりとか。

彼は院に進む事に。僕はカメラメーカーに勤める事に。ちなみに彼の親父さんは写真が好きって話もその時聞いたのかな。僕の夏休み5連休を利用して、共通の友人のいる沖縄へ作曲旅行へ出掛けた。二人でギターを担いで、海岸沿いでかき鳴らす。彼のギターカッティングの軽快さと解放感にのせられて自然と僕もメロディーが出て来る。結果的に「土曜の朝のドライブ」「C'mon Okinawa!」「青い街」「椰子の実通り」を含め、20曲くらいは出来た。ちなみに、「Summer Day」「君が空を泳いでゆく」「サララ」「ラフィード」「ループシャワー」「南国風味」なども当時生まれた。とにかく開放的な空は僕らの心そのものだった。

僕は会社を辞めて創作活動に傾倒する事に。自然と自身のアイデンティティーと社会性の保持、とのバランスで苦しむ。僕は心が狭くなってゆく。飲みたい時に飲めない。精神的に。金銭的に。僕は飲む資格のない人間なんだ。どんどん自分を追い込む。彼とは「会うんだったら、なんか創ろうよ」と。「ただ飲むだけじゃ生産的じゃないよ」。嫌な奴だな、俺って。。。

僕のライブイベントに来てくれたりする。楽しんでくれたりする。そんな彼の顔を見ると、素直な人だと脱帽する。お互い女性に対する思いは強く、そんなトークは今までさんざん繰り返して来た訳で、だから「あおき、結婚する事になったよ」 その一言は友人として嬉しい。感無量だ。

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♪おめでとう植野 ありがとう足立 Part2♪


伝えたい事が多すぎる。それは僕が彷徨っているからか? それとも感情の起伏が激しい事をそろそろ認めた方が好い? っていうか、僕以外はみんな、知っている。僕が感情的な奴だという事を。多分。。。

ある友人の話をしよう。「いい奴」の話を。

彼とは中学の二年間、高校の二年間、クラスが一緒だった。高校一年の時は、大宮の予備校が一緒で、よく数学の時間、教室の後ろで音楽について、ビートルズについて、性について語ったものだ。大概僕が彼に言っていた言葉。それは「コンセプト」だったように思う。

高二、高三のクラスは最悪だった。思い出したくもないな。僕は自ら、ハブにされる道を選ぶ。周りからは「優等生ぶりやがって」「っつうかアイツこわい」「あおきってあんなに嫌な奴だったっけ?」 出席番号一番の僕は廊下側一番前の席でいつも気を張っていた。正直辛かった。

僕は別に優等生ぶっていた訳じゃない。教師から見ても扱い辛い奴だった事だろう。「あなたの授業受けてても正直受験に受かるとは思いません」といって、毎回別の教室へ参考書を持っていったのは僕だ。科目によっては優等生扱いで白い目にさらされ、科目によっては教師から劣等生扱いされ、好奇の目にさらされる。

そんな僕を「いい奴」は遠くから見ていたんだ。彼はだから知っている。「僕」をね。

お互い現役で大学に進学する事に。彼は音楽サークルに入った。僕も別の大学で音楽サークルに入ったけど、すぐやめて、独り宅録の世界へ。

ドラマーを目指しているという。不規則な生活をして身体を壊したりする。何度か赤羽の彼の部屋へ遊びに行く。

僕はアメリカへ遊学する事に。その間に彼は、ドラマーになる事を諦める。その数年後僕は創作活動を始める。

大学一年の時、池袋のロサ会館近くの居酒屋で飲んだ時、彼と飲む酒が旨かったと記憶する。恵比寿でオールナイトした時は、眠る足立を見守りながら、僕は必死に何かメモっていた。それはカフェコンパナについてだったり、世界を巡るような、若さだったような、そんな話。

ここ数年は年に一度か二度会うだけだけど、やっぱし彼がいると、僕は安心する。それはきっと「僕」を知っている奴が彼だからだろう。そんな彼をここでは「いい奴」と呼ぶ。

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♪おめでとう植野 ありがとう足立 Part3♪


伝えたいことが多すぎる。それはそれぞれの気持ちを反映してか? そして思い出が多過ぎるからに他ならない。

もうすぐ、親友の結婚式だ。その二次会の幹事ミーティングを式場にて。青木幹事長と言われて、心引き締まるが20秒くらいの緊張感。あとはやっぱし脱力感な俺。でも、幹事のみんながしっかりしてくれているので、なんとかまとまりそう。

ミーティングを終え、下北沢にて飲む事に。ミーティングのメンバーに加え、中学時代の部活の仲間二人も加わって総勢11名。新郎新婦の人徳。ほぼみんな初対面だったり10年ぶりの再会だったり。こりゃ、同窓会だね。

その中には、新郎と一緒に行った沖縄、にいた友人もいる。実は彼の所には僕は独りで赴いた事があって、そこで立ち直った程の貴重な時間を過ごした。毎晩泡盛を呑み交わしたものだ。西表島での神聖な光景を目の当たりしたのもこの旅でだった。石垣島のバス停でクラシックギター爪弾いていると、あばあちゃんに「音楽やっている人に悪い人はいねぇ〜」と言われたのもこの旅でだった。彼とは中学時代何故だか皇居の周りを一緒に歩いた事がある。そう言えば、誕生日も全く一緒で、でも、身長差が30〜40cm程もあった。いつも帰りの池袋まで一緒に帰った覚えがある。「この禁欲生活(男子校だったので)もあと1,000日」と言い合ったり。

高校に入ると、彼はハンドボールやバスケットボール、とスポーツを楽しむ姿をよく目にした。僕は合唱部へ。彼は理系を選び、僕は日本史と古文だけの男だったので文系へ行くのが自然だった。

お互い現役で大学へ進学する。一人暮らしの彼の部屋へ時たま遊びに行ったものだ。「あおき、背伸びたな」と言われたりする。彼はなんだか腐っていた。彼が、じゃなく、彼がその環境にいる事自体にもどかしさを感じているようだった。

彼は大学を退学し、琉球大学の医学部を目指し始める。僕は経営学科に所属し、結構真面目に授業に出る。彼が大学合格したと知った時は嬉しかった。でも、東京から一人親友がいなくなるのは寂しくもあった。

新郎と二人で作曲旅行に出掛けた時は、彼はバスケットの大会で出掛けていた。その一年半後、僕が一人で赴いた。現在彼の奥さんである人と三人でサイクリングしたのはよく覚えている。そういえば、数人で飲ん兵衛になったりもしたな。あの旅行では毎日ウコンを飲んでは酒を呑み、の生活。僕がその旅行から帰って来ると、彼から連絡が入った。「彼女と付き合う事にしたよ」と。その後彼等は目出たく結婚する事に。

一年前、高円寺でライブのチラシを配っていると、彼と彼の奥さんとばったり会う。そう。今では、僕のうちから自転車で10分以内の所に彼等は住んでいる。時間と空間的距離、その流れの変化、そこに気持ちや心が入ると僕は何だか感慨深くなってしまう。それは単に懐かしい、っていうんじゃなくて、嬉しい悲しい楽しいがすべて一つの僕の脳味噌のスペースに同居しているんだ。だから、心の中で泣いたり笑ったり。僕の旅はまだ続いているのかもしれない。

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♪おめでとう植野 ありがとう足立 Part4♪


伝えたいことが多すぎる。それは今まで出会ってきた人達に。そしてこれから出会う人達に。そう。すべて僕は僕として人と縁を感じつつ生きていきたい。

下北沢での飲みはみんな和やか。そのメンバーの中には、今回司会をやってくれる元クラスメイト、彼とは高校の修学旅行で金比羅でちょこっと言葉を交わしたのを覚えている。そういや、彼も「いい奴」もその旅行では同じ部屋だったよ。その記念写真は卒業アルバムに載っているはずだ。そんな彼も、今回現実性のない僕、、、のサポート的存在の友人も、去年10年ぶりに会った仲間だ。ここ一年で新郎含めてこの4人で飲んだりする仲になったり。そういや、この4人で「クリーム&シロップ」「空が青いのは」をこれまた友人の結婚式二次会で歌うべく僕の部屋で練習したのは忘れない。そして、本番この歌を歌った時、その時の新郎(この4人の中の一人だけど、笑)が泣いて歌ってくれたことも。また帰りがけに「音楽の力ってすごいよね」というコメントを司会担当が言ってくれた事も。すべて忘れたくないな。そういうのはすべて僕は僕の作品の中で伝えていきたいな。

また新郎と大学時代の友人とその奥さんも今回、二次会で映像を担当してくれる。新婦の音大時代の友人はバイオリンを弾いてくれる。新郎新婦にとって大切な仲間達の大集合(勝手に決めた!)。

そう。すべて大切な友人であり仲間だ。

韓国家庭料理。お店に入る前に感じた「あ〜、他の店の方が好かったかなぁ」という印象以上に、美味しく食も酒も進む。僕は食も酒も好きで、だから、大切な仲間達とこうやって美味しいものを一緒に食べる事が出来て幸せだと思う。節約のために外食は控えていたけど、この日はもう飲むぞ!と決めた。日本酒が進む。ポンポンポーン! ポン酒だポン酒。酒持ってこーい。ポンポンポーン。腹ポンポン。晴れの式に向けて前夜祭だぁー。

適度に気持ち好くなった所で、解散。じゃあ、この調子で楽しく当日も宜しくぅ〜♪

みんなと別れた後、「いい奴」と二人で、下北で過ごそうという事に。僕は自由業だし、こういう時にしか何だか、僕にできる事ってないし。一緒に時間を過ごす。これだけが僕が人にできる事だったりする。

「いい奴」の親戚の人がイタリアンを経営しているという。まぁあわよくばその店に行こうという事に。偶然辿り着いたそのお店にお邪魔する。お店は適度に混んでいて、常連客の人達とマスター(「いい奴」の親戚の方)と4人で心地好く話す。僕の記憶する限り、マスターはリキュールをたっぷり目に3杯注いでくれた。「君、もっと酔った方がいいよ」、と。振り返れば、多分、冷静な僕の奥底にある何かを、、、僕が僕自身の姿を「見る」機会を与えてくれたように思う。

そこで話した事はすべて覚えている。「一人で行ける店を5軒は持っていたいね☆」という常連客の女性は結婚したばかりの方で、隣では旦那さんが眠っている。マスターからもその彼女からも、僕が旅先で感じて来た『世界ブルー』の情緒や光景、大切な人と人との縁、そういった匂いを沢山感じて親しみを感じた。

後の事は、部分的に覚えている。。。「いい奴」に担がれて、「いち、に、いち、に」と階段を降りた事。降りてすぐ吐いた事。「沢山吐いちゃいなさい」と優しく言ってくれる彼女。ペットボトルの水を僕の口元に充ててくれる「いい奴」。

後の事は、部分的に覚えている。。。

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♪おめでとう植野 ありがとう足立 完♪


伝えたいことが多すぎる。僕が巡って来たすべてを。そしてこれから感じてゆくすべてを。僕がみんなのためにできること。両親のためにできること。僕自身のためにできること。見えたよ。

「いい奴」に担がれて、カラオケボックスに入る。いや、その前に路上で吐く俺。「いい奴」も苦しかろうに。「ごめん」「ありがとう」を繰り返す僕。何を話したのかも、、、いや、どういった気持ちで「いい奴」が優しく声をかけてくれたのか、とか、僕のみっともない姿、非力な姿を、見守ってくれる「いい奴」。僕が酒を飲んで、しかも、嬉し泣きではなく、みっともない姿を曝け出したのは、初めてだ。「いい奴」に付き合うつもりが、今は彼が僕の面倒を看てくれている。

カフェコンパナで彼の眠る姿を見ながら、メモ帳に僕は『世界ブルー』を論じていた。そして、今、僕は極度の精神状況を『世界ブルー』に持っていっている。そして僕の存在そのものはもうダメになっている事も知っている。もう素面で生きる事はできないし、それでもバランスを保とうとするのだろう。

路上で吐き続ける。泣きながら、僕の思いを伝える。身体は熱い。何を話したのかはここでは書かない。ただ、僕は忘れない。忘れないし、嬉しいし、それはこうやってみんなと楽しく会えたこともそうだし、大切な仲間達が素敵な人達に出会えたこともそう。そして、今僕は見苦しくも人に守られ、だからこそ、僕は人を守りたい。人の優しさはやはり普遍性の中にしっかりとあるのだな、と。

カラオケボックスで二時間弱眠った後、路上で座り込む。気付けば、ジャケットを羽織ってない事に気付く。もうどうだっていいや。新宿までどうにか二人で辿り着き、さよならし、僕は高田馬場まで行って、そこで、座り込み、各駅停車に乗り、どうにか家まで辿り着く。

夢の中、泥酔の中、そこで見えてくる現実。

そういや、カバンをどっかに置いて来た。自主制作CDや免許証、キャッシュカードに、買ったばかりの眼鏡、デジカメ、二次会資料。そしてパスワードを記した手帳などなど。。。。。幹事長失格だな。失脚失脚。退散。分解。分裂。俺。早速、キャッシュカードを停止、部屋で吐きながら、web関係のパスワードを変更したり。

結局の所、イタリアンにすべてを置いて来たらしく、その荷物は親戚の方が保管してくれているという。

俺ってダメな奴。でも何だかこのふっきれた気持ちは何だろう。何か大切なものを酔いのお陰、友人達のお陰、生きざまのお陰、過去と今とみんなと僕とが絡み合って、結び付いたもの。僕がここ15年間くらい感じて来た感覚が一挙に溢れだして来て、大切な気持ちの連続を目の当たりにした。また同時に大切な情報や所持するモノ、それらが如何に大切であり、でも、やはりそんな大切なもの以上に大切なのは気持ちなのだ、と。現実社会においての僕のダメ人間ぶりは素直に認めよう。

でも、なんだろう。まるで一日の間に酔い巡った僕の旅は、実はこれから僕が辿る道の始まり。僕には確かに見えた。言葉では表すことの出来ない僕の『世界ブルー』が。そしてそれが一生、言葉で表すことの出来ないものだという事も。生きていけばゆくだけ、より大きくなりより鮮明になったり淡くなったりするものだということを。やはり、嬉しかったり悲しかったり、新鮮だったり、苦しかったり、不信に感じたり、迷ったり、もどかしかったり、それらすべての感情なのだということを。そして、僕が今こうやって文章で必死に表そうというしている以上に、僕自身の存在、あおきまさとって奴の生きざまそれオンリーなのだということを。そしてそれは、新郎や「いい奴」やマスターや両親やすべての人から貰い受ける愛と僕からみんなに対する愛そのものだということ。

ありがとう。

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♪祝♪


植野へ。結婚おめでとう。
俺はほんとに嬉しい。純粋に嬉しいよ。
これからも楽しくいこう! じゃ、おやすみ。

20031110 1:26am
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