しーくれっとパーティー
このところ「生きる喜び」について考える。考えるというよりも、お酒を飲んでも誰かと語らっても買い物していても沸々と「生きる喜び」を「誰かと共有したい」という気持ちが沸き上がるのだ。これはもうどうしようもないのだ。
もう一つ。人と会うと「生きててよかった」という感情が湧き起こる。これもどうしようもない程の質量だ。その質量は、言葉で言ってもハグしても伝わらないかもしれない。だから僕はメロディーを口ずさむ。そういう生き物だ。
昨晩。約二十年前に出会った音楽仲間達と再会した。この十年間僕は自分からはあまり外に出てライブには出演していない。そんな出不精な僕を外の世界に引っ張ってくれる仲間達。場所はあのお店。このお店も2001年だったか2002年だったか。当時自主企画できるお店を探していて地下に降りてドアを開けるとそこは、、、。懐かしい。以来、ホームとなったお店。そのお店とも三年ぶり。再会する仲間達とも一年ぶり、三年ぶり、十二年ぶり、、、。
これを書いている今、、、ちょっと体調を崩している。喉が痛い。扁桃腺の手術をして以降は特に、気を付けているんだけど、ついつい気が緩んで、冷たい飲み物、アルコール、冷房、煙草の臭い、大音量での会話、声帯に負担をかけるメロディー・フレーズ歌い、さらに喉全体に負担をかける大声での歌い、遅寝、、、普段から妖精のようなピュアな心身の生活を心掛けている僕にとっては、やはり外の世界に出ると体調を崩してしまう。後悔。。。
でもね。なんだろう。この解放感は。気分は。インスピレーションは。
あぁ、そうか。これだ。「生きる喜び」 それをみんなと共有できたんだ。だから「生きててよかった」んだ。
(中略)
人もメロディーも言葉も代えがたい。時を経て醸し出される懐かしみが喜びに変わったりする。そして、新鮮な気運に触れてそれが喜びになったりする。いずれにせよ。「生きる喜び」というのは、自らが作り出そうという意識がどこかにあって。さらに一人では成り立たなくて、家族や友人、共通の目的意識や趣味、思考を持った仲間と享受するもの。
みんな。「生きる喜び」を、ありがとう。2019年6月17日 10:32(Sekaiblue Airlinesより引用)