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  私的随喜    Private Column
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優しさと厳しさと


3月1日掲載「愛とか夢とか」  3月2日掲載 無題   3月4日掲載「ボクボクうさぎ」  3月6日掲載「こうして僕はバリ島にいる Part 2」  3月7日掲載「踊りながらミックス」   3月8日掲載「この所の僕は生きている」  3月9日掲載 無題


♪愛とか夢とか♪


今が幸せなのかもしれない。夢もあるし、目標もある。好きな人もいるし、両親もいる。信頼できる友人との絆も歳をおう毎に強くなってる。好きな音楽制作も試行錯誤しつつもそれが楽しい。

お金がない。ひもじい。なので、職を探す事にした。世の中は単純だ。そう。頑なにすべてを断らなければ、何とか生きていられるように出来ている。そんなに大きくなくても、小さな幸せは手に入れる事ができると感じる。勿論すべてが順調にうまくいくとは思っていないけど、自身で努力して求めてゆけば、必ず少しはましな状況になるんだって、信じてる。

1,2年前に出来なかった事を今やっている。5年前10年前なんかと比べたら、もう俺って素敵。多分、1,2年後はまた今の自分には出来ない素敵な状況にいるんだと思う。それが環境なのか能力なのか周囲の人々なのか住んでいる場所なのか着ている服装なのか創っている音楽の質なのか。いずれにせよ、今では考えもつかない事をやっているんだと思う。

その時、好きな音楽制作はやっているだろうか。好きな彼女は隣にいるだろうか。友人達とはうまい酒でも飲み交わしているだろうか。食べたいもの食べられるだけお金に余裕があるだろうか。夢があるだろうか。目標は持っているだろうか。前へ進んでいるだろうか。

傍目から見て、どうのこうのは、どうでもいいよね。自分の求めるものや欲しいもの愛するもの好きな人が存在しているのかどうか、だよね。生活の中に愛があるか。夢があるか。そこだよね。

愛っていうのは、今、僕が持っているもの。夢っていうのは、今、僕が欲しいと願う気持ち。いつまでも持っていたいよね。愛も夢もさ。

20040224 1:14am
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♪無題♪


全力を尽くす事がどんなに気分の好いものか
それが例えお金にならなくても多くの人に認められなくても
僕はそれを貫くのをやめる事はできない

20040229pm
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♪ボクボクうさぎ♪


物騒な世の中である。

「あ、おばあちゃん? 僕。僕だよ。久しぶり。そう。まさと。え? うん。そう。あのさ。僕、音楽やってるんだけどさ。え? 知ってたっけ? うん。ただ遊んでる訳じゃないよ。でね。結構大変でさ。何がって、生活成り立たなくてさ。僕世界一になりたいんだ。うん。だから、お金沢山頂戴?」

物騒な世の中である。

世の中、うさぎだらけだ。

君、うさぎ? 僕、ボクボクうさぎ。

20040302 11:21am
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♪こうして僕はバリ島にいる Part 2♪


生きている間に悩みは尽きない。そりゃそぉ〜だ。
そして、どこの社会へいってもつきまとうのが『人間関係』ってやつではなかろうか。

僕はこう思うようにしている。
「居心地いいなぁ〜」と感じている時は、僕と対峙している相手に精神的負担がかかっているものだ、と。例えば、こちらの気持ちを一方的に相手に押し付けてるからこそ、こっちとしては楽だけど、相手にしてみれば、負担この上ないだろう。僕の周囲には嬉しい事に、僕にとって「居心地好い」人達が沢山いて、だから、気になる所だ。「彼らは、も、もしかしたら、僕と一緒にいて、気持ち的に負担に感じていやしないだろうか」と。

それは逆も然り。僕が負担に感じてきた一方的な人達は、結構断定的な人が多いような気がする。高圧的というか。。。「○○すべきだよ!」「○○してはダメ!」と人の生き方や考え方、好みにさえ、うるさく口出しするその人達って何者? そしてそういう人に限って、態度がころころ変わるのだ。きっと彼ら自身、一応相手に気を遣っているんだろうけどさ。だったら、もっと考えて頭の中整理してから、相手にものを申した方が善い、と思うのですが。。。どうでしょうか。。。吐き出したい気持ちは分かりますけどね。

こういう話をよく友人達と話す訳だけど、そこで出てくる台詞の中で印象に残るのは、「この手の話ってさぁ〜、結局、分かる人には分かるし、伝わらない人には伝わらないのよねぇ〜」 だよなぁ〜。「自分の正論だけ押し付けて、相手の素直な気持ちには耳を傾けないんだよね」「そうそう。それでいて、"自由に何でも言ってくれていいよ"なんて言ってさぁ〜。いざ言ったら"それは違うよ!"って即否定されちゃったりしたり"不愉快だ!"なんて言われたり」「自分に自信がないんじゃないの?」「かもね」

狭い気持ちしか持ち合わせていない人に限って、自身の体験談や経験則でものを話すでしょう? まぁ、そう自分に言われてみれば、僕も自信がない時とか、意識が低い(集中できてない)時って結構、経験則に頼っちゃったりします。まぁ言うなれば固定観念なんですけど。。。それと、そういう人に限って「もっと心を広く」とか「プロはこうあるべき」とか、もっともらしく言うんだよね。あと、人への批判が多い。

気を付けたいなぁ〜と思う。考えてみれば、僕自身も正さなければならない事は多いからだ。そう。もしかしたら、僕が相手に対して高圧的になっている、って時だってあるかもしれない。そんな時は「何でも僕に言って欲しい」とは言わない。是非、僕から距離をおいて、バリ島へでも逃げるのがよいと思います。

「あおきさん、こんにちは。私はひとまず、バリ島へ出かけます。当分、会えませんが、まぁそれはそれで。これまで大変お世話になりました。感謝致します。お互い頑張りましょう。私もバリ島からあおきさんを応援してますね。」

こんな粋な文章がもし、届いたら、僕は褒めたい。

そう。僕達は絶えず、日常の中で、バリ島へ出かけたいのだ。君も僕も。

20040221 2:58am
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♪踊りながらミックス♪


今年でライブ活動を始めて3年が経つ。短いような気がするし、でも、やってきたステージを辿ると長かったような気もする。そもそも何でライブをやろう、って思ったのか、っていうと、、、

僕は中学1年生の秋から、作曲を始めました。実際は小学4年生の頃からやっていたけど、それはそれで、、、作詞もちょくちょく書いていたけど、意識し始めたのは、高校1年生の頃から。録音制作を始めたのはちょっと遅くて、大学1年生の頃です。自分的に本格的な創作活動と捉えているのは、会社員を退職して、自宅録音のみの生活を送り始めた24歳の頃。遅いですよねぇ〜。

で、宅録をやってて気付いた事がありました。それは自身で創っている音源に躍動感がない、という事です。多くの方が御存じのように僕は精神的なマゾキストですから、やりたくない事---やりたくないんじゃなくて自信がないんじゃないの?---いや、んな事ないよ、やれば俺だってできるさ---なら、やってみなよ、って事でライブ活動がスタートしました。

ある俳優さんもどこかの誌面で述べていましたが、「本当はやりたくない」んですよね。ライブって。語弊あるかな。だって、やる以上、肉体も精神もそのステージに持っていく訳ですよ。そのステージのために禁欲し、摂生し、その日のその瞬間に全力尽くせるよう、テンションを高めたり沈静化したりするんですよ! これって苦しくないですか? 眠ろうとしている時に、頭の中が夢っぽくなった所で、曲が流れて、そこで僕は歌ってて、で、全力で歌う、「いや、もっと、こうだよ。こう!」ってなって、いつの間にか、布団で真っ暗闇の中、声無き声で叫んで歌ってたりするんですよ? 想像できます? それを毎晩繰り返してると、、、不眠症になる訳ですね。。。特に、僕はMCが長いでしょ? 夢の中ではもっと長いんですよ。っていうか、夢の中での方が、沢山いい事言ってます(笑)

さっき、「本当はやりたくない」って書いたけど、信じます? まず、信じて下さい。そしてね。そして、僕はそれを踏まえた上で言いたいんだけど、「本当はやりたくない」ライブを「絶対にやりたい」んですよ。毎回、自分の殻を破る訳じゃないですか。それだけでもかなり限界なのに、次にライブやる時はそれ以上じゃないと、納得いかないじゃないですか。お客さんは褒めてくれても、僕自身「イケ」てないと究極に落ち込む訳ですよね。ライブからの帰途、「今日の俺はいけてなかったなぁ〜」ってね。そんなステージここんとこやってないですが。すべてイケてますけど。僕のステージは。って書くとそれもプレッシャーになって、また眠れなくなって、また布団で真っ暗闇で叫ぶ訳ですが。ガバッと起きて口だけ大きく開けて、無音で叫びますよ、僕は。本気で(笑)

伝えたいメッセージのボリュームが大きいんです。メッセージの数が多いんじゃなくてさ。大きいの。決して薄くないし。まぁ、これ読んでくれてるほとんどの方々は知ってるんだろうけど。

本題に戻らなくちゃね。でね。僕は3年前にライブを始めた。当初の「やりたくない」が今ではもっと別の「やりたくない」に変わってきていてそれは上で述べた事。で、実際、躍動感学んでます。終わりはありません。そしてそれは、僕の生き甲斐である『創作=レコーディング&ミックス&パッケージ』に反映しちゃってます。

そう。言いたかったのはね。今、僕は、踊りながらミックス作業してますよ。ピョンピョン跳ねながらね。こういう姿もいつか見せちゃうんだろうなぁ〜と思うと、、、「本当は観せたくない」ミキシング風景を「絶対に観せたい」になるのかな。。。それをクリアしたら、、、いつか、、、僕のレコーディング風景も見せる時が来るのかもしれません。ただ、その時は驚かないで下さいね。多分、(皆さんが)素面じゃお観せできないかもしれません。感覚を変えて頂かないと。。。僕は至って素面ですけど。。。

まぁ、取り敢えず、「踊りながらミックス」 これ覚えておいて欲しいです。ちなみにアクセントは「な」には付きません。「オドリナガラミックス」という感じで仲良くしてやって下さい。

20040301 0:28am
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♪この所の僕は生きている♪


この所、生きている。働いていないので、懸命に生きているとはいえない。でも、それは表向きだ。実際は、かなり懸命に生きている。別に内緒にしている訳ではなくて。僕は好きな事やっているし、親に甘えているし、友人達に恵まれているし、健康そのものだし、いつも楽しそうに生きているし、で、アルバムやライブで出したい自分を表現している訳だから、羨まれるのも無理はない。でも、だったら、皆さんもそういう生き方してみては? いや、暴言。これは失礼。

ライブについて。ひところは「こういう姿を魅せよう」とか「ここで勝負」とか頭でライブしていた頃がある。で、いつからか、それはそれなりに自分の中で転機があったんだろうけど、「俺が俺であればいいんじゃん」ってなった。それは別に「等身大でいいんだよ」とか「楽にいこぉ〜、楽に」って言ってるんじゃない。「俺を全力でその瞬間で出し切ればいいんじゃん。悔いのないように。」って事だ。

そう。つまり、僕は映画の中の主人公みたいなもんで、普段生活の中で感じたり途方にくれたりする感覚そのものを、、、いや、違うな。。もっと、こう、、、そう。普段の悩んだり苦しんだり喜んだり有頂天になったり怒りに震えたり無関心だったり、そういう「そのままの僕がライブステージにいる」感覚が好きだ。そう。そして、この所の僕はまさにステージは僕そのものなのだ。

正直、別に歌う必要もないと感じる。だって、ライブだもん。音楽である必要はないし。でも、僕は歌いたいから歌う訳だけど(笑) だって、ライブだもん。やっぱし音楽やりたいしさ。でも、僕がステージに立つだけで、それがステージなんじゃないかな、っていう感覚。それは絶対的なものだ。なんせ僕は映画の主人公な訳だから、そこに僕がいるだけでいいし、それで好し。でしょ?

これまで、多少幅広く活動してきた。当初はそのユニット毎に僕が合わせて、ある意味バランスとる形でステージに立つ事を考えていたし、でも、それは頭でやる音楽だったな、って回想する。今では、どんなユニットのサポートに立とうが、どんな人達とやっても、僕が僕としてステージに立っている。っていうか、それで好し、でしょ? つまり、僕はもう寝てても歌ってても無言でも"世界ブルー"。それが僕。まぁ、あおきまさとそのものっていうか。。

だからなのかもしれないけど、バランスとっていた時は、「◇◇よりも××の方がいいですよ」とか「あおきさんって色々やってるんですね。で、一体本当は何をやりたいの?」とか言われてたけど、「この所」は「"世界ブルー"のあおきさんよりも○○で歌うあおきさんが好き」とか「△△のあおきさんが一番輝いている」なんて言われるのは、実は嬉しい。つまり、それは僕が僕を出し切っている証拠だから。まぁ、お客さんそれぞれで好みもあるだろうし、実際どれが一番なんて甲乙付けがたいはず。でも、その言われ方っていうか、確かに「ひところ」と「この所」では、違うなって思う。まぁ、、、生き方ですよ。って結論付けるなよ!

自分で言うのもなんだけど、2004年2月17日の三軒茶屋グレープフルーツムーンでのライブは是非みんなに観て欲しかった。逆に最初から最後まで観てくれた人は僕がやろうとしてきた事が何となく理解してくれたんじゃないか、と。勿論今までも懸命に臨んできたけど、でもこないだのライブは「何かが違う」「何かを超越した」ものだった。っていうか、「この所」のステージすべて「何かを超越」してるんだけど(笑) まぁ、こないだの"世界ブルー"で初めて頭と身体が合致したっていうか、これまでイメージしてきたものが垣間見れたような気がする。まぁ、いつも「初めて」な気持ちなんだけどね(笑) でも、「もうこれでオシマイ」ってよりかはいいでしょ?

ライブステージもそうだけど、創ってきたアルバムもそう。「観なきゃ損よ」同様、「買わなきゃ損よ」って事。まぁ、押し付けがましいよね。押し売りみたいで嫌だね。でも、そういう気持ちで創ってる事だけは確か。そういう気持ちで、音を入れて歌録音して、で、「オドリナガラミックス」してるんだよね。アルバムの音って目には見えないし、生ではないから、「やっぱしライブがいい」っていう人もいるんだろうけど、実はライブ同様テンションの深いものなんだよ。

そして、そこでも、もう分ける必要はなくて、ライブもアルバムもこのwebもチラシもすべてが僕な訳。僕が僕であればいい。そういう気持ちで生きてます。「この所」

20040302 0:55am-1:33am
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♪無題♪


よく僕は「いついつのライブは最高だった。」と書く。それってみっともないよね。過去にこだわるなんてさ。でも、こだわりたいんだ。過去があって今がある訳だし。

過去にしがみつくのは好くないけど、過去にこだわるのってそんなに悪くない。また、未来のためだけに突っ走るのはそれは自分を見失ってしまったりもする。この5年間なくして、今後の僕は有り得ないだろう。簡単に「プロになる」とか「デビューする」とか「売れる」とか、言う人がいるけど、そういう成果や結果というのは、結構見えない努力というか要素というかひと粒ひと粒の瞬間的に出合ってきた感動や憎しみ、汗、筋肉疲労、精神的苦痛、快感、エゴ、祈り、、、、、、などなど秘話が必ず存在するはず。テレビ画面や雑誌に出てる有名人に対して「なんでこんな人が」って言う人がいるけど、彼らだって運だけで生きてる訳じゃないと思うんだよね。ちゃんと努力や情熱やそれまで培ってきた実績みたいなものが必ずあるのよ。それを見せない所が「商品化」されている所以な訳で。だって商品って大衆に向けたものじゃない? 敢えて見せる必要はない、って事が多いはず。

あぁ〜、過去にこだわる話だった。(中略) やっぱし、「今夜は全然ダメだった」とか「今夜の俺って今までで最高!」とか、そういう思いってある。まぁ、それはお客さんもそれぞれに思う所あるはず。思うんだけどさ。よく「夢を売る商売なんだから、"今日のライブは失敗だった"なんて言っちゃダメだよ」って言う人がいるかもしれないけど、言ってもいいと思うんだよね。失敗とか最悪とかさ。だって、そうじゃなきゃ大成功!とか俺って最高!とか説得力なくない? オリンピックとか運動会とか「出場する事に意義がある」っていうじゃない? ライブも同じで「出演する事に意義がある」と思うのよね。で、スポーツや受験とか会社とかで金メダルや合格とか報酬があるのと同じように、失敗とか最高!とかそういう判断であってもいいなぁ〜って思いたい。あ、勿論ステージ上でそれ言ったらそれこそNGだと思うけどね。ステージにいる限りは全力を尽くすのは当たり前だし。っていうか、ステージに上がる前も降りた後も、全力っていうか、俺な訳だけど、それを客観視する段階があってもいいはず。

まぁ、ほら。人それぞれって事で(笑) ジョンレノンが「"Help!"は駄作だ」なんてもし本当にそう言ったとしても、でも、やっぱし名曲だと思うし。っていうか、ああいう曲僕には書けんもんね。ファンにはファンの思いがあって、アーティストにはアーティストの思惑があって、、、それでいいと思うのよ。そこで感覚にギャップが存在するのは当たり前でさ。もしギャップがなかったら、気持ち悪いよね。オママゴトじゃあるまいし。達磨が怒るよ。怒ってるけど。。。

さて、2002年3月2日水道橋東京倶楽部でのライブは最高だった。同年4月9月11日の銀座5to5のライブも好かったな。10月2日12月6日の大久保水族館もとても好かった。9月のcafe de Taoでのあおえばもよかったな。2003年3月2日のclub Chinaも不思議なものだった。X'masLiveも掴めたし、で、こないだの2月17日はようやく階段をまた一つ登った感じ。(中略)

階段を一つ一つ登るためには、やはり足を上げ力や意識が必要でしょ? そういう工程(=過去)があって、一つ登る(現時点での位置)。それをくり返して、じゃあ、どのくらいまで登りたいかな、っていう自分なりの未来像が浮かぶの。だから、過去ってとっても大切なの。僕、過去にこだわるの。で、今があるの。で、未来へ進むの。

20040302 2:34am
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