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  私的随喜    Private Column
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たなかりえdesign 〜朝が一番 夢の形に 似ている〜


6月3日掲載「アルバム 〜朝〜」  6月5日掲載「朝です」  6月6日掲載「‘朝’と書いて‘愛’と読む」  6月9日掲載「愛故に」  6月11日掲載「魂込めて笑う。そして愛。」  6月17日掲載「深夜Radio」  6月18日掲載「白熱灯」  6月20日掲載「世界はすべて青い空の下にある」   6月23日掲載「夏の朝」  6月26日掲載「滅 - 貫 - 生」


♪アルバム 〜朝〜♪


 そろそろアルバム『朝』が発売される事になるんだけど、毎度のごとく(この意味、、、ごく数人しか知らないだろうけど。いつか説明します)自分なりに解説なぞ書いてしまおう、と。え? ださい? まぁ、、、じゃあ、ちょこっとだけ。いいじゃん。少しくらい書かせてくれよ。スペースおくれよ。俺のためのスペースじゃなかったっけ? ここ。では、いくよ。


     アルバム 『朝』

     1 Forever Last
     2 白熱灯と君
     3 境地
     4 空が青いのは
     5 Ever Lasting

     内容時間:30分55秒

     vocals & piano by あおきまさと
     chorus & voices by たなかりえ
     drums by 渡辺靖文(from スカーフ*カー/フロッタージュ)

     illustrated by たなかりえ
     produced by あおきまさと


 1, すがすがしい朝。カーテンをシャーって開けると、さらっと光が!

 2, ピロートークって皆さんした事ありますか?(独り言じゃなくてよ) そんな雰囲気が出てて良好!

 3, 11分にも及ぶ境地。今回のアルバム着手、実はこの曲がきっかけです。大音量で聞き流して下さい。

 4, いつの間にかライブでは常連曲。我ながら素直になれたりします。

 5, これは21世紀クラシクス楽曲群からセレクトしました。関わる事ができて光栄です。


 眠くて文が冴えませんが、、、それは言い訳ですね。でも、伝えたい事だけ伝えておきます。この作品に関わってくれた、渡辺靖文さん(忙しい所叩いてくれてありがとう)、たなかりえ(敬称略ですまない)、仲川くん(再就職おめでとう)に大きく感謝致します。皆さんの協力なくしては出来なかったでしょう。特に、コーラスとアルバムジャケットを担当してくれた、りえ。沢山負担をかけてしまったかもしれませんが最後まで協力してくれてありがとう。とても心強かった。僕とのモノ創りを少しでも楽しいと感じてくれたなら嬉しいです。読者の皆さん彼女に大きな拍手を。この『朝』を僕は大切に広めていきたいです。では皆さん。水族館で僕と握手!

20030603 3:01am
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♪朝です♪


さて、アルバム『朝』に終わりはない。それはLastの曲、「Ever Lasting」で主張しているつもりであるが、じゃあ、「何、意味深な事言ってんのぉ〜よぉ〜」って事になるけど、、、。ほら、朝って一日の始まりでしょ。だから、終わりっていうよりも始まりだよって言いたい訳。

そもそも、僕が中学3年の頃に数学のノートに列挙しまくったアルバムタイトルやコンセプトのネーミング。それらは今更覚えてない。確か「俺のファーストアルバムは、イーグルスと同じく『ファースト』でいこう!」とか「やっぱ『スタート』がいいかな。」なんて誠に何と純真なボーヤであった事か。「そして最大の武器=アルバム『思春期』で華を咲かそう!」なんて言ってたあおき少年。そんな僕も今は青年でBlue Yearsである。

そもそも、、、そう。そもそも、今年の2月からやっとこさ創作活動に入れた訳であるが、そのアルバムタイトルは『from here』であった。Mimina氏の助言を得て『from here on』となった訳であるが、それよりも結果的に先にこの『朝』が発表される事に。打ち込みと生演奏半々の『from here on』と比べて、『朝』はシンプルにpiano & vocalを基調としている。これは、創作者の意図を汲み取ったもので、彼曰く「『今の時分』を見せたい訳です。僕の伝えたいのってメロディーでしょう? ならば、音響とか音色とかSoundsを主張してしまっていいのか、と。それよりも楽曲と歌詞の絡みを受け取って欲しいし。っていうか、『朝』って付けた理由の一つは、、、いや、(中略)。。。理由は後から沢山出て来てしまったんですが。。。(後略)」

”朝”って空気が澄んでいる。余分なものがない。静かだ。色も音も交じりけなく置かれている。それでいて夢から覚めたばかりで辺りがぼやけて見えたりする。クリアなのにモノクロームなフィルターがかかっていたり。それでもカーテンをシャーっと開けて光が差し込んで、外の景色はとってもクリアー。

男女の抱擁。朝は優しい気持ちになれる。ホテルから出た後、晴れてると何だかとってもすがすがしい。一緒に歩きたくなる。’朝’ってそんな大切な時間、空間だとさえ思えてくる。セックスの後のまどろみ。肌を重ねた後の信頼感。だからこその澄みきった青い空を見て欲しい。空気や温度を感じて欲しいのです。

20030525 1:30am
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♪‘朝’と書いて‘愛’と読む♪


僕は最近恵まれているなぁと思う。勿論理解ある両親を持っている事は言うまでもない事だけど、それだけでなくて、助けてくれる仲間達がいる俺ってなんつ〜幸せ者! 俺も僕もほんとに有り難い気持ちいっぱいなのだ。

アルバムアルバム『朝』を創った。ジャケットを見て欲しい。僕は「‘朝’と書いて‘愛’と読む」と言いたい。とっても愛のこもった作品なんじゃないか、と。たなかりえのイラストがまるで僕の楽曲達を包んでくれているのではないか、と。守ってくれているのではないか、と。そう感じずにはいられないのだ。

正直、音楽を続けていくのは、苦しい。いや、苦しいって書くと、「夢を与えるアーティストがそんな事言っちゃいけないよ!」と思う方もいるかもしれない。でも、はっきし僕は書きたい。苦しい。苦しいです。でも、助けてくれる仲間がいる。嬉しい。そう。正直、音楽を続けていくのは、嬉しい。いや、嬉しいって書くと、「アーティストは自己満足しちゃいけないよ!」って感じる方もいるかもしれない。でも、はっきし僕は書きたい。嬉しい。嬉しいです。

僕の音楽同様、りえのジャケットは、きっとりえ自身が描いて嬉しいと感じるもの、だったと期待する。正直に書こう。「やりたい!と思うからこそ創る」のが強い光を放つのだ、と。ライブにしてもアルバムにしても「表現したい!からこそ」のものだと言いたい。「出来る」からではなくて「やりたい」から、なのだと。だから「アルバム創らなきゃ」じゃなくて「創りたい!」で気付いたら出来上がっている。そういうのが愛される作品だと思う。僕は今回この『朝』というアルバムを創ろうなんて計画は持ち合わせていなかった。ただ今年の3月2日のライブ(「Forever Last」「境地」「空が青いのは」の3曲)を「もう一度やりたい!」と強く思ったのだ。とっても印象的だったから。そして、気付いたら作品がほぼ出来上がっていて、りえがイラストを描きたいと言ってくれて、ドラムを渡辺さんに手伝って貰って。。。そして、今回6月6日、仲川くんを含めた3人でステージを持つ訳だけど、きっともしそれがまた輝きを放つものであったとしたなら、続いていくだろうし、義務感だけで遂行していくのだったら、滅びるだろう。僕はステージや作品っていうのはそうであって欲しい。そう。残るものは残るし、滅びるものは滅びる。そんな自然の摂理が好きだ。そして僕の楽曲達は残る。

20030606 0:40am
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♪愛故に♪


もうちょっと書きたい。

アルバム『朝』を創って初めて気付いた事が沢山あった。http://sekaiblue.com/discography_detail.php?id=1002">『おしっこのわな』『Twinkle Blue』のジャケットを担当してくれた姫子さん。出会えて好かった。彼女には脱帽する。彼女のジャケットを開いて欲しい。愛を感じるでしょ? 僕の持っているイメージを何倍も引き出してくれている。それでいて彼女でしか描けないイラスト。何度も何度も見開きたくなる。それってきっと、彼女もそう言ってくれてはいるけど、「創りたい」から創ってくれた作品だからなんじゃないか、と。だからこそ、強く訴えかけてくれるのだ、と思う。

今も姫子さんはsekaiblue.comの方に『Twinkle Blue』の特設ページのために構成案を出してくれている。そのラフ案をメールでやりとりしてるんだけど、本当に創る事そのものに愛情を注いでいるなぁ〜と。彼女に特別な才能を感じているのは僕だけじゃないんじゃないか?

sekaiblue.com。。。このweb designにしても同様で、担当してくれている大和田さんは僕のイメージを本当に的確に吸い上げてくれる。これも、もしかしたら、楽しんでくれてるから、好いページが出来上がっていくのでは? と僕は勝手に頷いちゃう。っていうか本当に感謝してるんです。

ここでは書ききれない沢山の人達が今まで協力してくれた。決して義務でなく。好意で。「やりたい!」からやってくれる。単に「出来る」からでなく。そういうものってやっぱし強いって思う。「出来る」から出来たものは、、、何だか聴いてて/見てて寂しくなる。そういうArtやEntertainmentって寂しくなる。

僕は恵まれている。そして、僕はこのままで終わりたくない。どうせなら仲間達を引っ張っていきたいと思っている。勿論これはエゴである。引っ張られたくない人達もいるだろうし、僕だって引っ張っていけない人だっているだろう。音楽だけにとどまらず生き方そのもののポリシーは人によって千差万別だ。だから衝突も起きるだろうし、離れていったり去っていったりする人もいるだろう。僕はそれでいいと思う。恋愛にしろ仕事にしろ相性って大切だし。そう。相性って大切なんだよ。

人が去ったり離れていったりするのは、相性の相違だったりする。興味がなくなったからかもしれない。愛情がそこへは注げないからかも。僕にだってそういう人達やそういうアーティストは沢山いる。そう。人は生きている限り、変化していくんだ。愛がなくなれば滅びるし、愛さえあれば残るのかも。そんな人間の感情って怖いくらい好きだ。そして僕の存在は残る。

20030606 1:00am
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♪魂込めて笑う。そして愛。♪


アルバム『朝』の完成パッケージができた。そして、お祝に、、、というか腹が減ったので、、、阿佐ヶ谷の担々麺((慶))へ向かう。

おやじ「あおきくん。アルバムは出来たの?」
あお 「出来ましたよ。これ差し上げます!」
おやじ「え? くれるの? あやしぃ〜なぁ〜。お金取らないなんて。」
あお 「受け取って下さいよ。その代わりサービス沢山して下さい(笑)」
おやじ「だめだめぇ〜。これ以上、あおきくんにサービスするってもなぁ。おじさん困っちゃうよ(笑)」

おやじ「売れてるの?」
あお 「今日完成したんですよ。たった今完成させてここに来たんです。だからこれ受け取るのおやじさんが     初めてですよ(笑)」
おやじ「じゃあ記念に餃子サービスしてあげるよ。売りもんじゃないよ。いっつもおじさんが食べてるような     やつ。」

ドドーンと担々麺が出て来た。そして、、、ドドドドドォーーーーンと餃子が!!! すごい量だ! 何個あんだろ。

りえ「美味しい!」
あお「旨い! 仲川くんも呼べば好かったかな。話してみてよ。」
りえ「チーフ、何て言うかな。」
あお「へぇ〜、って言うんじゃない? へぇ〜って。」
りえ「今の声のトーン似てる(笑)」

あお 「おやっさん。これうまいっすよ。ほんとに。」
おやじ「でしょ。うまいでしょ。」
あお 「強気ですねぇ〜。」
おやじ「強気でしょ?」

おやじ「これどれくらい売るの?」
あお 「300枚くらい創ります。」
おやじ「強気だねぇ〜。」
あお 「でしょ? そりゃあ強気ですよ。」

おやっさんの作ってくれた餃子。いつも通りサービスの肉入り野菜。で、担々麺。すべてが存在感のある強い光を持っている。旨すぎる。これも、やっぱし、作りたいから作ってるからこその賜物なんじゃないかな。「ほんとは創りたくないんだよ」なんていつも口癖のように言っているおやじさん。でもそれってきっと、「ったく、音楽やるの苦しいよ」って言いつつも続けている僕と同様なんじゃないか? 今更ながら、僕はおやじさんの創作魂を、料理魂を垣間見るのだった。

おやじさんの料理は僕の自分史の中に確実に残るだろう。そして、僕の楽曲は音楽史に残る。

20030606 1:16am
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♪深夜Radio♪


 僕は病気で寝ている。でも、数日間も床に伏していると何だか手持ち無沙汰だ。で、過去の作品を聴き流してみる事にした。まず最初に爽やかな気持ちになりたかったから、親友植野との沖縄作品---「椰子の実通り」「カモン、オキナワ!」「土曜の朝のドライブ」「青い街」を聴く。う〜ん、爽やかだ。爽やかすぎるぞ。っつうか、いい声し過ぎ。今、こんな声出んよ。初々しいなぁ〜、もぉ〜。で、同時期に創った「三角形の歌」「Lovely Tenderness」「Recort Complex」。これまた城北中高時代の友人、富田君とgonこと吉田君(大御所のヨッシーとは別人です)と避暑地で隠って創作したもの。これ、いいじゃん。っつうかあおき、これ発表しろよ。勿体無い。。。
 そういえば、当時僕は創りたいものが沢山あった。年にアルバム10作が目標だった訳だが、結果的に、『Taste One』(大御所)『青い空の下で』(with植野)『Loop Flower』(with富田&gon)『おしっこのわな』(Pee-Traps)『新入社員の呟き 下半期』(ソロ)『はいから三寸気分』(ソロ)を創った時点で、創っても創っても発表する(存在を認められる)難しさを痛感したものだ。それ以降、conceptual worksから離れて、『21世紀クラシクス』楽曲群に本気で取り組む事に。100曲程(現在は150曲程に増えてるけど)に自信作をセレクトして半年間かけて楽曲の骨格を練りに練った。

 まぁ、今に至る経緯を話しても仕方ない。結局、ライブ活動やWeb運営で創作活動は2年間休止していたけど、その間にも『Twinkle Blue』『おしっこのわな完全盤』『電気醤油ファースト』に関れてちょっとほっとしている。生み出す事に関れていない自分っていうのは、やはり死んだも同然だから、だ。
 さて、僕は病気で寝ている訳で、暇だから、過去の作品を聴いている訳だけど。。。

--『電気醤油ファースト』これすごいよ!勢いあるよ。自由だよ。楽しそうだよ。新鮮新鮮。この作品の後に今度出すアルバムが『朝』って所が自分でも素敵だなって思う。
--『新入社員の呟き 下半期』これすごいよ! まじで。なんでこんなの創る必要ある訳? 誰のために創ったの? これ。あんちゃん聞いてる? 超癒されるよ、まったくもって俺って癒し系。歌最高に上手いよ、これ。この数年間でベストじゃない?
--『Twinkle Blue』超アバンギャルド。ポップスに扮したマニアック少年。おい、これどうやって唄ったの? これ唄ってるあおきの様子見たいよ。ブリブリしてんだろうなぁ〜きっと。Honey Hunterのリズム、やけにかっこいいんだけど。Star Shower意外に悪くないんだね。当時の僕のひねくれ具合が潜んでるし、「気持ち悪い!」と言って貰うために創った(最初は)割には、音源だけ聴いても結構泣けるっつうか。最高級の贅沢なマスターベーションを感じます。「創作ってマスターベーションだったんだね」---そんな極論を絶対的に言わしめるsoft touchな(タチ悪ぅ〜)力作かな。
--『下半期』『Twinkle Blue』聴いただけで天才だって思うよ。これに『Taste One』が来て『おしっこのわな』加わっちゃうとどうなっちゃうんだろう(どうにもならんのですね。。。)。で、今は亡き『21世紀クラシクス』、いや、今後の『世界ブルー』作品群(何故『21世紀クラシクス』楽曲群が『世界ブルー』作品群に吸収されたのかは、今はまだ書かない。何故ならば、もう『21世紀クラシクス』だけじゃ僕を飲み込めんのよね。まだ名を明らかにしてない『○○○○○○○○○ ○○○○』っていう音楽そのもののジャンルや、ここ3年間で描き始めたイメージ音像はもう既に『世界ブルー』という形で僕そのものだって強く主張していかないと、僕自身の頭ん中がどうにかなっちゃうのね。「俺=世界ブルー」にしとかないと、もう僕は壊れるのです。既に壊れてますが。。。)がボンボン完成したら、死ぬ程感動するな、これ。
 俺に時間を下さい。神様。で、認められなくても創り続ける強い精神力下さい。孤独に耐え得るエゴもっと下さい。

 そうだな。『朝』出したら『from here on』って思ってたけど、やっぱし販売って結構大変なんで、当分、創り続けたいね。販売とか考えちゃうと創れないんだよね。媚びちゃうしさ。制作にかかるパワーってね。すごいんよ。時間とお金、もうないもん。女の子とホテル行くお金ないし、アルバムプレスするお金ないし、人のライブ行くお金ないし、、、でも、創りたいものいっぱいあるし、表現したいもの山程あるし、それらは自己満足で終わるものじゃないし、世に出さなきゃっていう使命感さえまでも芽生えるし、だって、大衆に聴いて欲しくてでもまだ誰の耳にも届けていない楽曲だって死ぬ程あるし、、、。

 さっき、メモった言葉を借りるよ、あおき君。

 溢れ出て来るので、創り続けます。

20030524 1:31am-2:14am
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白熱灯


〜ピロートークは夜か?!朝か?!〜

はっきり言います。朝です。朝が真実です。

20030603 1:45am
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世界はすべて青い空の下にある


前にも書いたかもしれない。それは時の流れの事かもしれない。出会い、別れ、そして再会を経た喜びかもしれない。懐かしい気持ち。大切な思い出。

僕は「繋がっている」という感覚が好きだ。「どことなく繋がっている」とか「私達は強くコネクトされている」とか、そういう結びつきの強さ弱さではなくて、ただ「繋がっている」状態が好きだ。朝起きて、朝刊はちゃんとポストに入っていて、テレビでは天気予報とかやってて、で、外を見ると、晴れやかに空が続いている。

時間的にも空間的にも繋がっているのは、それは「僕と貴方」という特定の関係性のみを浮き彫りにするのではなくて、「僕とあの時の僕」だったり「僕と空」だったり「僕とその目の前に対峙するビー玉」だったり。そして、それは「僕」だけではないかもしれない。「貴方と貴方の大切な人」かもしれないし「貴方の友人とそのペット」かもしれないのだ。

「何と何がどう繋がっている」のかっていうのは、説明不要のような気がする。それは「誰と誰が付き合っている」とか、「あの子とは今どうなんだ?」とか、そういう真実や気持ちとは別の所でしゃべられてしまう低俗なものが不要なのと同じだろう。それよりかは「今の空はあの時一緒に見た空と似ている」とか「朝が一番夢の形に似ている」とかそういう事を語った方が楽しい。

僕は学生時代に旅をするにつれ、強く思う事があった。そこで出会う人々との対話や握手や抱擁はとても僕の体内の中に記憶されて、大切にしたい!という気持ちが芽生えたのだ。出会い。それは新鮮である。そして一緒に行動をともにしてお互いの価値観や感性や趣味、興味を伝えていくうちに、お互いがお互いの体内に何かしまいこむ。そのしまいこんだものはただ置かれているのではなくて、ちゃんと体内を動いているのだ。そう。その流れがその人自身の一部となっているかのように。

僕は出会う人々と別れるのは悲しかった。でも「でも、また会えるよ」ってお互いが期待しつつ別れるのは辛いけどでもとても心打たれるものだった。リゾートバイトの仲間達。ホームステイの仲間達、家族、町の人達。留学時代の仲間達。学生時代を通した友人。旅先で出会った人々。ひとつひとつのシーンを僕は覚えている。そして、そのすべてが尊いもの。

彼等と僕を結び付けるものは何か。僕はずうっと考えていた。そしてそれは心のどこかでずうっと幼少の頃から分かっていた。そう。すべては青い空の下で繋がっている。これだ。

そして、僕は思った。もし、僕が表現者として自身の世界観を発信し続ければ、いつか必ず、僕が会いたかった人達とまた再会できるのではないか、と。そしてその時、彼等は僕の作品や僕の表現に対するアプローチに接して、僕という人間を思い出してくれるのではないか。いや、それ以上に過去の僕、今の僕、未来の僕、時間軸に関係ない、僕という核心を理解してくれるのではないか。

僕が何故、『世界ブルー』を広げていきたいのか。それは、勿論表現者として自身の世界観を広げていきたい事は言うまでもない。でも、それはきっと、「僕と貴方」「僕と動物園」「貴方と貴方の両親」「体育座りと英和辞書」「近所の子供達と学校のプール」くらい、いや、もっと(「パン工場の30前後の人が昔ミュージシャンを目指していてセミプロであったけども、今は子供もいて優しい奥さんもいて、大切にフランスパンを焼いている姿とその時流れていたBGM」だったり「東舞鶴駅で路頭に迷って入った一軒の定食屋(=べにや食堂)のおじさんおばさんが僕を心配してくれ宿を探してくれて、でも見つからなくて、、、彼等には埼玉大学に通う息子さんがいて、僕と同じくらいの年頃だ、と。で、僕は結局駅近くのベンチで寝てたけど、変なおやじがやってきて、コーヒーを御馳走になり、、、、、」とか「ミュンヘンへ向かう列車の中で出会ったクリスという男性は昔旅人で、僕を彼の若き日と重ね親切にも寝泊まりを薦めてくれ、彼が扱うバリの骨董品がずらずらと並ぶ部屋、しかもバリ製のベッドで休ませてくれ、夜はバーでビールを飲んで、それがとてつもなく美味しくて、で、僕らは恋愛について、結婚について語り合う」だったり。。。勿論、これは僕に関わる事で、僕以外の所で多くの「繋がり」や「関連性」が起きている訳で。。。)とてつもない広く大きい価値観や感受性、記憶、好意などが絡まってできたひとつの見えない集合体なのではないか、と。

別に『世界ブルー』でなくてもいいのかもしれない。でも、僕の一生を一言で形容するなら、やはり『世界ブルー』と言われたい。「彼は、世界ブルーに生きて来たんだよ!」とか「彼は、これから世界ブルーになるかもよ(笑)」とか「私の一生も実は世界ブルーなんだ♪」とか。

空が深く広く僕達の心の中で大きい存在であるように、僕は僕達や貴方やほかすべてのものがやはり大きく繋がっているんだ、という希望を込めて、世界ブルーを突き詰めていきたいと思っている。そう。僕が僕を突き詰めれば突き詰める程、世界は広がるんだ、と。深く広く大きく優しく力強く。まだ果てしない。

伝えられない何かを伝えたい。

20030620 1:18am-1:56am
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♪夏の朝♪


いつ、どこで、誰と、という話は、説明してもきりがないように思われるだろうけど、それでも、今まで出会った方達との嬉しい繋がりというのは、僕の生きる糧だし、純粋に自身を探究していける糧でもある。次の文章は先日アルバム『朝』を購入してくれ、自身の日報にまで書いてくれた森末潤一氏の文章である。恥ずかしいが、読んでジーンと来たのは、10年間の時の流れの早さからか、これまで歩んで来た道のりが駆け巡ったからか。。。人様の文章が当『私的随喜』に載るのは初めて。ただ嬉しいという気持ちから掲載をお願いし、快く許可してくれました。森末君、ありがとう。
☆業務日報

2003年6月17日(火)

彼と出会ったのはおよそ10年前のことだった。僕は大学1年生で外の世界に興味を持ち、夏休みの1ヶ月ほどをリゾート地のホテルで住み込みのバイトをすることとなった。彼とは相部屋で年も近く親しく話すようになった。彼は「実は音楽をやっている。だけど、まだ人に聴かせるようなものではないから」と言ってその音を聴かせてくれることはなかった。僕はこういった音楽を聴いているのだよと言って持ってきていたCDを紹介した。夏の1ヶ月間、僕は I've seen everything/The Trash Can Sinatoras と Girlfriend/Matthew Sweetばかりを聴いていたものだった。

およそ一年前のある日彼からメールが来た。僕の名前を検索してみて見つけたとのことだった。彼は音楽を続けていて、地道にライブハウスで演奏をし、もうすぐしたら音源をまとめるという。ぜひライブを見に行きたいと思ったのだが、彼は東京で僕は名古屋でありなかなか行く機会が持てないうちに日が過ぎていった。CDができたと彼から連絡があり、僕はすぐにお金を振り込んだ。そして今日そのCDが届いた。

バンドの名前は「世界ブルー」。もうそれだけで、僕の評価では100点満点。ピアノ演奏に導かれた彼の声はとても透明で強い意志を感じるものだった。歌詞もなかなかのもの、「空が青いのは/君の瞳を映しているから/だから いつまでも/晴れの日の下で暮らせるね 『空が青いのは』より」。とても身近に素晴らしいアーティストがいることに深く深く感謝して。

◆Sekai Blue◆

森末潤一氏  メッシナ商会
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♪滅♪


みなさんは大切なものを失った時、どんな気持ちになるだろうか。それは思い出かもしれないし、大切な人そのものだったり。。。生き甲斐だったり、夢だったり。。。

いや、別に僕は大した事を言おうと思って書いているんではない。ただ、僕はたった今、画像データを失ってしまって、そんな自分が情けないだけだ。約150枚もの画像には沢山の笑みや悲しみさえもが含まれていた。言葉では形容できない「何か」が沢山ある、愛しさや思い出や喜びが沢山詰まっていた。そういうものを僕のたった一瞬の無知による過失で失うというのは、僕自身に腹が立つし、許せない。でもどうする事もできないんだな、これが。。。だって、もう存在しないんだもの。。。

この一ヶ月間僕はただ、アルバムジャケット作りで、盤を焼いて、ラベル印刷し貼って、ジャケット印刷し切って折って貼って、包装するという作業だけの日々だった。ただその中にも沢山の愛のある毎日を送ってきた。。。

僕は正直に書こう。悲しい。ただ、無気力な僕にはもう飽きた。もう、疲れたんだ。もう、嫌なんだ。もうこんな生活は脱したいんだ。もう後悔とか嘲りとか自虐的行為には飽きたんだ。僕はもっと他人にも自分にも優しい奴でありたいと。

人生は記録ではない。記憶だ。そして、僕は記録のために歌うのではない。人々の記憶に残るステージを魅せるよ。

20030626 2:27am

♪貫♪


僕は、一体どこまでこんな苦しい感情を抱きかかえながら生きていかねばならないのかい? どこまでこんなひもじい思いを貫かなければならないのかい? 孤高と人は言うけれど、僕はそれは「孤独を貫く」事だと思える。孤独に耐えられるか駄目になってしまうのか。。。

僕は苦しい。それは誰に対してもその苦しみをぶつける事はできないからだ。ぶつける相手がいないのは悲しい事だ。思いを伝える相手がいないというのは。。。でも、僕にはメロディーがあって、やはりそこのみに直球で挑むしかないのか。でも、そんな生活を続けてもう15年。そこに終わりはあるのか?

一体、俺の気持ちを受け止めてくれる人間はいるのか? それとも俺はいつまで経ってもやっぱし独りか? みんなに囲まれてにこにこしているようでいて、やっぱり独りか? 正直、もっと独りになりたいと思う。もっと自身の世界観を追求したいからだ。でも、正直それは苦しい。だって大切な仲間達と過ごす時間が少なくなるから。でも、僕はどこに向けて生きているのかって、それはメロディーそのものだ。そこでしか生きられない僕は、やはり、いつかは、、、遅かれ早かれ、目指していかなければならないだろう。僕には「Island」を創る必要があるし「Skyline」を奏でる必要がある。「Smile」を歌う必要があるし「Nobody」を完成させる必要があるんだ。「境地」や「Ever Lasting」にしたっていつかは完全な姿を魅せたいと思うし、「Love Stone」や「君の細部」もまだ全然表現できてない。いつかは「Identified Myself」を人前で歌う必要が出て来るだろうし、それでもやっぱり「Come Close To Me」を歌いたい。僕にはやりたい事とやるべき事が沢山ある。もう、どうしようもないんだ。

僕は駄目かもしれない。それは「音楽」とか「生計」っていう意味じゃなくて。僕は駄目かもしれない。駄目で駄目で駄目で駄目で駄目で駄目な奴さ。そんなん分かり切ってる。みんなにも多分知れてるよ。でも、どうにかバランス保とうと頑張ってる。努力してる。でも、もう駄目なんだ。いつまでも笑っていたい。でももう駄目なんだ。僕は僕でしかないって事を。そして俺は俺でしかないって事を。そういう部分を見せざるを得ない状況にある。

人は何故抱きしめ合うのか。それぞれの理由があるんだと。僕らは理解しなければならない。

20030626 3:00am

♪生♪


そして何故僕はあの時彼女と別れたんだろう、と。何故あの時彼女の手をぎゅっと握らなかったんだろうか。何故あの時強く「君と一緒にいたい」と言えなかったんだろうか。何故彼女の純真な想いを面倒臭いものと感じてしまったのだろうか。何故「一緒に暮らそう」と言ってやれなかったのだろうか。

すべてはある男の未練がましい「振り返り」である。別れは寂しいに決まってる。そして、その別れがやってくるのは突然だ。その時「何故?」なんてナンセンスだ。そう。人生は「何故?何故?」だらけだ。

僕はすべてをメロディーに託している。だから、貴方の事も君の事もお前の事もYouの事もあんたの事もみんな俺の僕の私のあたいのメロディーにあるよ。僕がその歌を歌う時、すべては、憎しみであり、怒りであり、嫉妬や疑い、迷いであるだろう。けれど、それはきっと優しさであり、温もりであり、親しみであり、信頼であり、愛だろう。

失うものは沢山ある。でも、それ以上に得るものは大きい。だから僕はメロディーを生み続ける。

20030626 3:20am
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