ZEN Cafe marina 新年会
急きょ新年会を企画することになった。
急きょ企画したので人が集まらないかと思っていたのだが、8割以上の方々が参加してくれることになった。そこで僕たちはせっかく大勢の人達が集まってくれるのだから、と、まぁ、いつものごとく? いかにみんなが満足するか、というところでの、料金設定と料理メニュー(メニューはシェフが作るのだけど、笑)などを考える。そこに加えて三時間飲み放題を(結果的に三時間半になったけど☆)通した。
新年会の前日。これまた「せっかくみんなが集まってくれるので」、ということで、互いが打ち解け合って、理解しあって、そんな絵を見たいと二人は思った。二年前のあのパーティーとまでいかないまでも、ちょこっとだけ企画しようということになった。
結局、当日を迎えて。やたらと至急案件が立て込んで。その間、もう一人の幹事が準備をしてくれて。そして、本番に臨むことに。
いつになく緩く。二人してぶっつけ本番でアドリブで司会進行。アクシデントもありつつ、そこについても、余裕を持って、あくまでもみんなが楽しんでくれる、打ち解けてくれさえすればよい、という。そういう気持ちで。
今、思うと、そういうのって大切だなと思った。アーティスト活動って結構、自身のアイデンティティーを伝える作業でもある。だから時としてエゴイストになる。むしろエゴイストになろうとする。テーマは宇宙や細胞であっても、それは大きすぎる世界観であって、大きすぎると受け手とのパイプがずれてしまうこともあるのだろう。なので、じゃあ、全人類対象である。そうすれば万人を抱きしめる、所謂、「全人類を信じる級のハグ」という感覚で臨む訳だ。アーティスト視点に立つとそうなる。
で。社会人として。同僚として。となると。アーティストと違って、そもそも世界観というものを伝えるという方向性よりも、その場その場そこに参加する人の「喜び満ち溢れベイビー」が大切である。つまり、それが世に言う「世のため人のため」という具体性を帯びた対象や目標が浮かび上がってくる。そこが大切なのだ。
一人一人の知られざる顔=誰でしょークイズの後、上長から、みんなに珈琲のサーブ。そして、ラテン音楽に合わせて、無理やり(?_?)踊る。笑う傍観者。集合写真。
僕は思うんだけど。こういう集いにおいては必ず集合写真を撮って貰うようにしているんだけど。後で見返すと。みなさんの喜んでいる顔から沢山の心地好いエネルギーを貰える。ありがとう。
バールに立ち寄る感覚で【第三百話】 2016.1.30 22:12