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  私的随喜    Private Column
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何で今更『from here on』なのか     
過去にこだわって、どうなるというのだろう
そう 過去は実は未来を示していた    
今、僕はそれを解き明かさなければならない
今を生きるために 未来へ向かうために  


5月1日掲載 from here on ---「びいどろ」に添えて  5月7日掲載「花」  5月9日掲載 from here on ---「忘れない」に添えて  5月10日掲載「すすめすすめ」  5月11日掲載『moonlight mile』感想文  5月12日掲載「名文」  5月13日掲載 〜VEKTOL SIXによせて〜  5月14日掲載「汗 ビール 夏 ビール 夕陽 ビール」画像あり  5月14日掲載 from here on ---「南へ賭けて」に添えて画像あり


 ♪from here on ---「びいどろ」に添えて♪


「女ってほんとに分からないよね」
「ああ、ほんとに分からない」

ウイスキー飲みながら、過去に付き合った女性達の事を思い出しながら、

「まなこなんだよね」
「で、騙されるんだ」

なんて、怒ったような、でも惚気ながら、酔いも最高潮に。

学生時代の僕らは、それまでの若気な体験談をもとに想像を膨らませて、語る訳であるが、そんな僕らも、今年で、、、。まぁ、いつまでたっても青臭い自分がいるのかもしれないが、その代表曲といったら、やっぱしこの曲「びいどろ」だろう。

時を溯る事十数年前、高校一年の時に仕上がったこの楽曲の当初のタイトルは、恥ずかしくも「ハードロック」だった(笑) 多分、自分の中では、重く感情迸るイメージだったのではないか、と思う。そして当時、頭の中で架空のバンド「びいどろ」が存在していて(まぁ、鈍い光といいましょうか。そんな美徳を十代の若者が力説している文章が、日記帳にあったっけ。)、彼等が奏でる激しい青臭いロック。

それから7年後、冒頭の二人の会話に行きつく訳だが、僕としては、この曲はそんな僕らの青臭い青春時代の集大成だと意義付けている。

20030402 10:43am
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 ♪花♪


どんな形でもいい。僕は大切な人達と未来の中で笑っていたい。

20030507 9:55pm
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 ♪from here on ---「忘れない」に添えて♪


焦りっていうのは誰しもが持っているものだろうか。欲を実現しようと焦りが生じて来たりしたり、例え悟ったりしても、大きく構えようとしても、僕は正直一生焦って人生を進んでいくように思う。それは現状があるから未来へどう繋げていこうか、っていうんじゃなくて、ただ、自分が感じる未来っていうものが僕を引っ張って、そんな誘いに僕は靡くしかないのだ。勿論、そこへ進みたいし、興味もある。でも、「え? この僕が?(こんな、、、ぼ、ボクが、が、、、?)」って内心おどおどしている。でも、そこへ進むのは至極当然の事のようにも思えるし、昔っから分かっていた。そして、これからも、きっと感じる方向へ進むんだろう。恐いよ。でも、進むだろう。だって、そこへしか行かないから。

単に成長していないだけかもしれない。自主的に生きているつもりでも独立心はないし。恋愛に関しても、そう。臆病である。

素直な僕と捻くれた僕。純粋に言葉にした時に人は「やばいよ、歪んでるよぉ〜」だったり、結構推敲したものに対して「素直だねぇ〜。純粋そのものだよ、君は!」みたいな。結局、それは表現する側の「僕」は存在は一つで、受け取る「あなた」も存在は一つだという事。「僕」も変化するし「あなた」も変化するんだ。どっちがどうだからどう、みたいな一致や不一致っていうのはあってないようなもので、一致したら一致するし、しない時はしない、そういうもんだ。

別れの歌が多い。それは恋愛に対して臆病な証拠だろうか。結構「別れても好き」なんだと思う。で、その時に感じる僕の感情は赤だけど、僕そのものは青だから、そこで起きる色っていうか情熱のぶつかりがある不思議な光景を生む。それがメロディーや言葉となって出て来るんだろう。

昔っから「絵」を描けたらいいなぁ〜、なんて思ってた。実際表現したい光景や感情を「見える作品」によって直接訴えかけるVisualなArtやEntertainmentに対する憧れは今でもある。結局、伝えたいのって五線譜に描かれた音符の羅列でもないし、複雑なコード感、リズム割り振りでもない。伝えたいのは出て来たものそのものだ。一筆書きかな。伝えたいのって感触だし感情だし光景だからさ。触れるもの見えるもの感じるもの。そういうもんだからさ。思い出話とか説明や情報じゃないからさ。僕が出会いたいものだからさ。

最近、気になるんだけど、過去に書いた歌詞を口ずさむと「え? これって、今の俺じゃん!」って事が多い。正直驚く。その当時は何の気なしに、まぁ、その時はその時で感情入り混じる心境だったに違いないけど、でもその当時よりも今の状況により当てはまるって、なんだか不思議だ。

もし、夢と現実が何らかで関わっているとしたら、夢の光景を元に創られた僕の楽曲というのは、実は僕の人生の指針や方向性そのものだったりするのではないか、と。最近つくづく強く感じるのである。つまりメロディーは僕の人生そのものなんだ、と。道筋なんだ、きっと。

20030402 10:59am
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 ♪すすめすすめ♪


沢山書きたい事がある。トイレや風呂、電車の中、眠りにつく寸前、ジムへ向かう途中、、、思い付く事が山程ある。「一度思い付いた事は覚えている」か、といえばそうでもない。また、「好い発想だったらまた生まれ出て来るよ。忘れてしまうようなアイディアは駄目だよ」って、そう思えばそうだけど、そうとも言えない。僕は必死にメモをとる。

最近の三種の神器は、録音機、メモ帳、デジカメ、ヴィデオカメラ。。。四種じゃんって。別に人生の記録を保有する事だけが生き甲斐じゃあるまいし、そんな記録記録してていいのかって思うけど、僕はただ何かアイディアが欲しいだけなんだよね。つまり素材を集めている訳。楽しい素材。心地好く生きていくヒント、みたいな。もしくは、ただ見返して面白いもの。そういうのって心に健康だからさ。

なので、重いよ。僕のバッグは。折角キーボード抱えずに済んでいるにも関わらず、僕は何かと重いものを背中に担ぐ癖が抜けないらしい。おバカさんだ。おバカさぁ〜ん。はい!

記録する作業の後には何があるの? はい。編集です。録音したら編集するでしょ? 記事書いたらそれをまとめるじゃない? カメラで収めた画像映像はそれはそれはそのカメラだけにとどめておくなんて、無意味でしょ? そう。発表(アーティスティックに言えば、表現)するためには編集という過程を通らねばならんの。これはねぇ〜。目が疲れるんだよねぇ〜。

まぁ、形にしたら、今度はそれを広めたくなるよね。誰かに見て貰いたいじゃん? どうせなら、多くの人にさ。ほら、それが自己満足なものだったら、まぁ仲間うちで楽しめばいいんだけど、それがアートやエンターテインメントであるなら、やっぱ生きている間に多くの人に見て欲しいし聴いて欲しいじゃん? でしょ?

まぁ、あれかな。その過程が楽しいんだよね。無意味な気もするんだけど、でも、ちょっと人が喜んでくれると嬉しい、みたいなさ。そういう味みたいなの知っちゃうと、、、やめられないんよねぇ〜。ほんと、どうしましょ。誰か助けて下さい。

20030509 11:42pm
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 ♪『moonlight mile』感想文♪


最近、おとなしいと思いませんか? この『私的随喜』。「こんなのオレの知ってるあおきじゃねぇ〜よぉ〜」とか「もっと偉ぶって!」とか「初めはこんなじゃなかった。あおき君も大人になっちゃったのね」とか。。。そんな感じのする今日この『私的随喜』。

刃ってあるじゃない? そういうのって日常で感じる感覚だったりするじゃない? 別に毒舌でもいいし、本音でもいいしさ。そうそう。本音と言えば先日『moonlight mile』という映画を見ました。本音で生きる事がいかに大切なのか。。。人からどう思われるとかどう見られてしまうとか、怖がって自分の意志を貫けない若者。。。

本音で生きるっていうのは怖いよね。まるで世界のすべてを敵に回すようなものじゃないですか? 本音って極限までいっちゃうと、全面肯定か全面否定でしょ? そういうのって表現する側としては部分部分の気持ちだったとしても、受け手って結構、断片を全体として捉えてしまうから。。。

そう。怖いんですよね。本音を貫くのがさ。

まぁ、遅かれ早かれ、貫くんだろうけどさ。っていうかもう過去に貫き過ぎたし、未来においても恥ずかしい程貫くんだろうけどさ。

でね、その『moonlight mile』。最後は結局主人公は真実の気持ちを伝えるんです。つまり自身を「出す」訳。で、嫌われるかもしれないと思った人々から感謝される訳。

最近つくづく思うのは、真実や本音ってその人の生き方そのものが「出る」ものだから、そして、出さないと「相手」に対して失礼っていうか、不信感を与えるっていうか、自らを明確化するためにも、それが例え恥ずかしい行為や意志であったとしても、本音を貫いた方が好いなぁ〜と思うのです。

そして、もうちょっと言っちゃうと、「愛」だな、って思います。「愛」のない行為や人や作品って、魅力もないし、続かないし、終わるし、滅びるものだなぁ〜って。逆に「愛」さえあれば、それが恥ずかしくとも、みっともなくとも、くじけそうになっても、嫌われたとしても、孤立したとしても、別れがあったとしても、悲しみや涙が溢れ出てきても、救われる、と。まるで宗教みたいですね(笑) でも、そう。そういった次元のものでないと、僕はもう救われないんです。

創作に身を投じようと思った時点で、すべてを敵に回したようなものなんですよね。具体的には「創りたいものを創る」---「それは理解されないであろう価値観や感覚であったりする」---「そして、それを大衆に理解して貰える様努力する」訳ですから。

敵っていうのは人ではなくて、人々の感覚の無さ。鈍感であったり無関心であったり配慮のなさであったり。。。或いは「長いものに巻かれろ」的発想だったり「群れ」を成したがる集団だったり。。。そういう部分に思春期の頃から積み重なってきた憤りはやっぱしどうにかしたいよね。どうにもならないくらい。だから、僕の役割は人々の感覚を呼び起こす事、だった訳です。僕の音楽を聴いて「私もホームステイしてみよう」とか「たまには各駅停車に乗ろうかな」だったり「いじめられっ子と仲良くなっても私は私よ!」とか「学歴や高収入だけが人生じゃないぜ」とか「年上を敬おう。困った状況の人に親身になろう」とか「明日も仕事だけど、たまにはいい。今夜はパパーッとオールナイト☆」とか「サージェントペパーもいいけどホワイトアルバムもいいよね」とか「あおき君ってポップっぽいけどロックよね」とか赤信号の横断歩道を左右確認しながら慎重に渡って「人生はマニュアルだけじゃ生きていけない」とか呟いてみたり。。。「とか」とか「とか」なのである。でいて「とか」も「とか」もとかとかなのだ。

つまり、こういうのもありね! っていう感覚を持って貰えればいいな。あふん!

20030511 0:16 - 0:46am
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 ♪名文♪


もどかしいよ。もどかしい。そう思ってるのは僕だけなの? 君も? ならどうしたらいい? 突っ走る? 夜の道を裸足で突っ走る(裸足かよ。。。)? みんな頑張ってる。ほんと? うん。一部頑張ってる。分からん。まぁ、世の中頑張ってる人はいるわな。そういう人見たり遠めに見たり傍目で見たりすると、あ、俺駄目だって思う。俺、ぜ〜んぜん頑張ってないや、って思う。人生捨てられないでいる。まだ甘ちゃんだって思う。でも、これ以上、辛ちゃんになったって、誰もついて来ないと思う。第一、自己表現ってまさに「自己」のエゴ追求だし。

もう駄目かな。あ、それって音楽が、じゃないよ。人間としてのこと。もう、人間としては駄目だな。そう。決めつけちゃった方が楽だな。音楽さえ好ければそれでいい!なんて言い切りたいし、いつも言ってるし、あ、いや、でもビジネス感覚とかも出し切りたいし、でも、創作意欲も出し切りたいし、もぉ〜舌切り雀って感じだな。限界が限界を呼ぶよ。

呼び掛けちゃおうかな。もう終わりにしようってさ。だって、どうせ終わるようなもの、やってんだしさ。幸い僕は終わりを前提で始まりに持っていきたいから、続けてられるようなもんでさ。でも、そろそろ正直になった方がよくない? だって、みんなが苦しい顔して生きていくのは見ていられないもの。そりゃ「音楽は純粋に楽しめればいい」んだけど。。。でも、純粋に楽しめる創作家なんていっこないだろ。ねぇ〜。音楽を純粋に楽しめる人っていうのはさぁ〜。「音楽をする人」な訳よ。創作家はそうじゃないのよ。分かる? みんなが「音楽をする人」になったらどんなに楽か。まぁ〜、そん時は僕は相手したくないけどね。そういうの嫌いだし。まぁ〜、勿論それは人間としてっていうんじゃないよ。人間としては楽しんで生きていきたいからさ。人間っていう定規では一緒に楽しむよ。そりゃ。でも、音楽っていう定規は持ち出したくはないな。

僕はただ、現状がもどかしい!って本気で思ってて、で、実際に動いている人。そういう人とだけ創っていきたい。あ、勿論、人間としては別よ。まぁ、でも、もう、僕は人間としては駄目なんだけどね。ごめんね。さよなら。愛してるよ。

20030512 1:25am
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 ♪〜VEKTOL SIXによせて〜♪


僕は18の夏、大きな世界の中で空をつかもうとしていた。そうしたかった。
見上げればいつも空があったし、何よりも好きだったからだ。
空は僕にとっては思春期の思い出だったし、
そんな光景をひきずっていたんだよな、きっと。
空なんかつかめもしないんだ。近づけばなくなってしまうもんだし。
空中分解という言葉がある。
僕の音はそれに似て、何も方向性のないものだった。
単なる作るという作業から出てきた可哀想な曲達。
つかめなかったんだよな。つかめなかった。

23歳の夏。夜空を舞う花火。空はその脇役でしかない。
僕はしっかりとつかんでいる。もうすでに、抱き合うことの意味を識り始めている。
柔らかかったり、温かかったり、優しかったり、可愛かったり、、、
空と君と僕。すべて普遍性だ。
抱き合い、愛し合い、そして見える空。そんな僕の普遍性。
僕の音は普遍性に基づいている。そして、方向性が生まれてくる。
こうして、僕のVEKTOL SIXが始まったんだ。

19980824
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♪汗 ビール 夏 ビール 夕陽 ビール♪


1997年度のスケジュールブックは楽しい。ある意味僕の人生のバイブル。これからって感じ。

で、今日の一言。

みんな、飲み行かない?
Beer!!
(ハイネケン ビール工場にて)
20030514 1:00am
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from here on ---「南へ賭けて」に添えて♪


Bee-Drops  夏と言えば、ビールだ。いやぁ〜、暑くなってきたねぇ〜。飲みたいねぇ〜。お兄さんと一緒に飲まないか?

 さて、学生時代、たまに、植野のうちにお邪魔して、あおきはオリジナルの曲を無理矢理聞かす。悪かった、植野。「恋のジプシー」とか「朝の目覚め」とか「Soft & Wet」だとか「もうこれ以上」(後に”大御所”の『Taste One』に収録)とか「駆け抜けろ!」(畳を思いっきし叩きまくってる力作)とか。一体いくつ未完成作品を流し続けた事だろう。「ビートルズビートルズ!」とか力説しながら。今聴いたら、ぜ〜んぜんビートルズじゃないよ。ありゃ、青春愛歌だ。もしや思春期ポップスそのものだ。それでも、面白がって聴いてくれたね。ありがとう、植野。

 まぁ、大体、話す事といったら、女の子の事ばっかし。夜通し呑みまくって、散々語る。その中で一番酔いまくったのはあれは確か5,6年前の2月。植野んちにあった酒もあおき持ち込みのウィスキーも程なく空き、若者二人は悪酔いしてるよ。まったく。いい気なもんだ。

 若者っていい。発想が柔らかい。斬新だし切れがいいんだ。っつうか、おバカだったりする。植野の録りためていたコードを組み合わせて、それにメロを付けてみた。一緒に歌詞も付けてみた。〜オレもHey, he he he〜y 喰いつく〜♪ それが「南へ賭けて」だ。酔った勢いで作ったその「南へ賭けて」。「南へ行こう!」って事になる。「やっぱ、沖縄かなぁ〜。」って事になって、その数カ月後二人で沖縄へ。若者はいい。ノリが軽い。軽快だ。

 「南へ賭けて」は僕的には、スペインの荒野で見た、赤茶色い砂漠と真っ青な空、そして月をイメージした。結果的に、アメリカ中南部をグレイハウンド(長距離バスね)で駆け抜けてる感じになった。

 ドラムはこれまた「いい奴」の名前をこの『私的随喜』で欲しいままにしている足立に叩いて貰った。そんな友情がいっぱい詰まったこの作品は所謂10代の時に描いたロック像なんであるが、まぁ、聴いてみて欲しい。「若さ」っていいなって頷いてくれるはずだ。きっと。

 そういや当時の自信作「Love Stone」も植野の研究所で弾いた覚えがある。いまだに未発表曲。一体いつになったら着手するんだ? 歌詞もメロ展開もすべて整ってるのに。。。人生、なんだかあっという間だな。あっという間に、終わっちゃうんだろうな。

 でも、これからの人生は今まで通り、楽しいに違いない。なんせ、沢山の気持ちが詰まった楽曲を形にする時に、今、居るからだ。

20030515 1:03am
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