からっぽ巡り play




今、外では雨が降っている。夏の雨だ。「夏の雨」は‘からっぽ巡り’のフィーリングそのものだ。雨の音の中を人々が行き交う。その靴音はどんなものだろう。遠くでそこからさらに遠くへ向かい、響きを残してゆく電車の音はどんなものだろう。

夏。物悲しくなったりもするさ。でも、あたたかいんだ。アスファルトを優しくたたく音やそこから湧き起こる匂い。それらは当時、無気力と希望の合間を縫って生きていた僕の心をさらに浮遊させもしたし、世の中と融和させるのに一役かっていたかもしれない。傘をさすという行為ひとつとってみても周りの人と同じという感覚は少なからず僕を安心させもした。単に僕の姿を(たとえ顔だけにせよ)隠すのに役立っていただけかもしれないけれど。

「僕の無防備な体、顔、感受性。それらは誰に授けられるのが心地よいのだろう。誰に向って。。。僕は、、、からっぽだ。ただ巡っているだけで。」

今回のライブステージ。前回思い描いた(というよりも意識を失ったときに見えてしまったイメージ)『泉』が自然と湧き起こってきたのと同様に、今回はそれが『浄化』だった。さらに補足すると前回「力を抜く」ことでステージ全体がひとつにまとめあげられてのに対して、今回はステージに流れを与えることだった。そこにはいくつかの理由があり、それらの理由ひとつひとつはさらに大きな理由のために作られたものだ。結局のところ、意識をどこに置くか。そこに尽きる。どこで腹を括るか。覚悟を決めるか。刀を抜くか。そういうことだ。

「誰かプロポーズしたい相手に向って歌ってるのかと思っちゃった」
そんなお客さんからの感想は、あながち間違っていない。歌う相手(対象物)が存在した、という点において。
「誰」とかそういうんじゃないんだ。「存在」があったということが大切なんだ。

答えよう。
僕はこう感じる。
恋愛もセックスも男として人としてどう転んでも不器用でいいんじゃないか、ってね。
伝えたい。歌いたい。届け。そういう気持ちで生きる方が好き。そう生きていられることが嬉しい。
器用でなくていい。綺麗でなくてもいいんだ。

君の言っていたように「永遠」はないかもしれない。
でも僕の言っていた「普遍」は存在したでしょ?
これまでの思い描いてきた希望を。君の願っていた幸せを。痛みや感謝の気持ちを。
今、歌うことができてよかった。

僕の気持ちは。きっと吸い込まれるように届いたと思う。
だって、君と僕とはまだ繋がっているからさ。

2008年8月12日 零時二十三分 あおきまさと記





演奏開始直前の風景 photo by N.Akiko



 2008.08.01 Fri.
 阿佐ヶ谷 Next Sunday

 予感
 Nobody Part 3 〜 美しく
 爪跡
 Opening Kiss
 かわいいね やさしいね 〜 Beautiful Crying
 愛しさと 切なさと 悲しさと 儚さと 〜 Opening Kiss


夏の川のせせらぎのごとく流れるように曲は進んだ!

まさしく新しいJポップの流れをころがした!!!

彼のベクトルはしっかりとした座標に描かれている。


photo by K.Toyoko  text by K.Imaoka








    彼女が亡くなってから僕は途方に暮れた

    僕は途方に暮れることが多い

    そして僕はOpening Kissを歌うことになる

    そのステージを浄化と名付けた

    すべてを彼女のために捧げた

    天まで届くように

    時に懐かしんだり

    時に熱唱する



    誤魔化すことはできない

    〜天国からずっと見守っているからね〜

    彼女はずっと見ている 僕の歌を聞いている



    僕はさ。あの頃と何ら変わらない青臭い奴だよ

    〜Masatoは私よりPianoの方が好きなのよ。悲しいな〜



    このステージをAng, Peng Cheに捧げる







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